書評

新たな旅立ちの前夜に

文: 五木 寛之

『70歳! 人と社会の老いの作法』 (五木寛之・釈徹宗 著)

 それほど「死」は、明治以来、この国に充満していたのだ。敗戦によって、その空気は一挙に吹きはらわれた。そして「生きる」ことをひたすら追求して七十年が過ぎた。

 いま、声にならない声、音としてはきこえない音が静かに迫ってくる感じを受けるのは、私だけだろうか。見えない津波のように押し寄せてくるのは、「死」という現実である。

 私たちはいま再び「死」を意識しはじめている。それは、お国のためでもなく、世界のためでもない自分自身のための死の確認ではあるまいか。「われ一人のため」の死。

 死後の世界は、だれも語ることができない。そこへ行って再び生の世界へもどってきた者がいないからである。ブッダは死後について口をとざしかたろうとしなかった。「無記」という表現でそのことは伝えられている。しかし世界は常に見る者によって見られる者が存在する。「生」が「死」を前提にしてあることは自明の理だ。すなわち私たちは死に対してさまざまな想像力を働かせることによって、現実の生をいきいきと実感できるのである。

 釈さんは「死」を語るために「死後」の世界に踏みこむのではない。私たちの現実がより切実に、より深味をますために、反対側の世界を語ろうとするのだろう。

 この対話の中の釈徹宗さんは、まさに私が子供の頃に夢見た孫悟空のイメージそのものだった。仏教に関する思索が、ときには落語の世界に飛び、ときにはアジアの民の現実に触れ、ときには枕経を読むエピソードとなり、縦横無尽にキン斗雲(キン=角へんに力)に乗って飛翔するさまは、私にとってまさに未体験ゾーンにいざなわれる実感があった。

 私はこの対話の中で、何度となく不謹慎な表現や言い回しをしている。しかし、それは本当のことを言わない、言わせない世界への苛立ちのなせるわざである。若い釈さんが老人の短気を自在になだめすかしてくださったからこそ、この対談は成ったとあらためて思う。私たちは今、新しい旅立ちの前夜を迎えているのだ。この一冊が、そのスタートの合図になれば、と心から願っている。

五木寛之(いつきひろゆき)

1932(昭和7)年福岡県生まれ。生後間もなく朝鮮に渡り、47年引き揚げ。52年、早稲田大学文学部露文科入学。57年に中退。編集者、ルポライターなどを経て、66年『さらばモスクワ愚連隊』で第6回小説現代新人賞、67年『蒼ざめた馬を見よ』で第56回直木賞、76年『青春の門筑豊篇』ほかで第10回吉川英治文学賞を受賞。81年より一時休筆して京都・龍谷大学に学んだが、のち文壇に復帰。2002年には第50回菊池寛賞を受賞。著書は『蓮如』『大河の一滴』『他力』『親鸞』『はじめての親鸞』『選ぶ力』『杖ことば』等多数。


釈徹宗(しゃくてっしゅう)

1961(昭和36)年生まれ。宗教学者・浄土真宗本願寺派如来寺住職、相愛大学人文学部教授、特定非営利活動法人リライフ代表。専攻は宗教思想・人間学。大阪府立大学大学院人間文化研究科比較文化専攻博士課程修了。その後、如来寺住職の傍ら、兵庫大学生涯福祉学部教授を経て、現職。『死では終わらない物語について書こうと思う』『法然親鸞一遍』『宗教は人を救えるのか』『いきなりはじめる仏教生活』『仏教シネマ』(秋田光彦との共著)『聖地巡礼 ビギニング』(内田樹との共著)等、著書多数。

70歳! 人と社会の老いの作法
五木寛之、釈徹宗・著

定価:本体780円+税 発売日:2016年08月19日

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