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まがまがしい夜蜘蛛のイメージにのせて語られる戦争の記憶、老い、恥の意識

まがまがしい夜蜘蛛のイメージにのせて語られる戦争の記憶、老い、恥の意識

文:片山 杜秀 (思想史研究者)

『夜蜘蛛』 (田中慎弥 著)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #小説

 この物語が『夜蜘蛛』の大切な部分にどうも重なる。そう思えてしまう。『夜蜘蛛』は書簡体小説だ。全部が全部、書簡体ではない。頭とうしろにいわゆる地の文がある。けれど、ほとんどの部分が、小説家に宛てた、ある市井の人の書簡の体になっている。

 その中で手紙の主の父親が兵隊に取られる。大日本帝国においては、帝国陸海軍を統帥するのは天皇と、憲法で定められていた。日本の軍隊は「天皇の軍隊」と呼ばれた。兵は天皇陛下のお召しを受けて戦地に赴く。手紙の主の父親は三度も召される。芳一が何度も安徳天皇のお召しを受けたように。日中戦争の前線では死にかかる。死霊に取り憑かれた芳一のように。

 手紙の主の父親の所属部隊は、危険地帯にのこのこと足を踏み入れ、敵の火線の格好の餌食となる。戦友は周囲でバタバタと戦死。手紙の主の父親も、右足に銃弾を受ける。貫通銃創である。万事休す。下手に逃げ回っては格好の射撃目標にされるだけ。彼は死んだふりをする。戦友たちの死体に紛れて横たわって目をつむり、耳だけで周りの様子を聴いている。盲僧の芳一が居ないふりをしたように。

 そこに、平家の武者の亡霊の代わりにやってくるのは、中国軍の兵士である。手紙の主の父親は足の傷の痛みに耐えつつも、ひたすら耳に頼って、足音と中国語を聴いている。ここで本作は「耳の小説」である以上に「足の小説」になる。足を撃たれた揚げ句の果てに死体のふりをしている男に敵の足音が迫る。足尽くしである。『夜蜘蛛』という題名も利いてくる。蜘蛛は八本も足がある。足に特徴づけられる特殊な生き物である。「足の小説」のタイトルに相応しい。

 ともかく中国兵は日本兵の死体を改めにきたのだろう。手紙の主の父親の死んだふりには気づかない。芳一同様、捜索者を騙し通す。とはいえ彼は物をとられる。ここで耳を取られれば本当に「耳なし芳一の話」になってしまう。しかし違う。彼を死んでいると思った中国兵は、彼の胸ポケットを改めて、そこにしまわれていた手帳を盗む。そのずっとあとで、彼は耳なし芳一のようにからだの一部も無くすのだが、そして無くすものはこの小説が「足の小説」であるからには足でなくてはならないのだが、とりあえずはまずは手帳だ。妻の写真をはさんであった。兵隊としてというよりも、人間として大切なもの。その手帳を敵兵に抜かれる。芳一の耳の代わりがとりあえず妻ということだ。でも取り返せない。死んだふりをしたまま。その情けなさ。屈辱感。

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夜蜘蛛
田中慎弥・著

定価:本体550円+税 発売日:2015年04月10日

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