- 2015.12.25
- 書評
被災地を生きる作家・熊谷達也の内なるドキュメントともいえる小説
文:土方 正志 (編集者)
『調律師』 (熊谷達也 著)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
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やはり仙台在住の私小説作家・佐伯一麦さんの作品に『還れぬ家』(新潮文庫)がある。『調律師』と同じく、その転調が深く胸に響く一冊である。父親の介護の日々を描いて文芸誌に連載中に「あの日」がやって来た。作品世界が、まるで一冊の本に亀裂でも入ったかのように突如として変化する。ここにもまた、転調が、断裂と断絶がある。そして、そのことこそが、仙台に暮らす生活者としての作家が受けた衝撃を思わせてくれる。その生々しい傷跡こそがあの日を伝えて、この作品も被災地の読者の共感を呼んだ。
福島には福島の、岩手には岩手の、そして宮城には宮城の、あの日からの苦闘と苦悩がいまもある。熊谷さんと佐伯さんだけに留まらず、被災地に暮らすひとりの生活者でもある作家たちの作品には、確信的にであれ、知らず知らずにであれ、あの日からのそれぞれの苦闘と苦悩が刻み込まれている。
たとえば東日本大震災を逆に「書かない」と宣言した仙台在住作家に伊坂幸太郎さんがいる。だが、その決断にこそ伊坂さんのあの日々への思いがある。伊坂さんもまた「あの日」を境に「なにを為すべきか」の決断を迫られた、被災地の生活者のひとりだった。我田引水めくが、伊坂さんの決断に関しては、私たち〈荒蝦夷〉が二〇一二年二月に出させていただいたエッセー集『仙台ぐらし』(現在は集英社文庫)をご覧いただきたい。
いずれにしても、詰まるところ〈震災文学〉とはなにも直に震災にまつわることどもをテーマとした作品のみの謂ではないのだろう。少なくとも、被災地を生きる作家たちの作品の場合、あの日からの確かな記憶は語られぬ行間にこそある。読者にそこに思いを致していただければと願う。
更にいえば、それは「来るべき日」への想像力にも繋がりはしないか。首都直下型でもいい、東南海でもいい、次なる〈被災〉の日がやって来たとき、そこに暮らす作家たちの作品になにが起こるか、読者はどう受け止めるか。そして、これら作品は、読者たる未来の被災地の職業人すべてがなにを為すべきなのかを想像するよすがになりはしないか。
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「あの日」を経て再生を果たした鳴瀬が、いまどうしているのかが気にかかる。ピアノと人を癒しながら、被災地の旅を続ける鳴瀬の幻が見える。
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