書評

被災地を生きる作家・熊谷達也の内なるドキュメントともいえる小説

文: 土方 正志 (編集者)

『調律師』 (熊谷達也 著)

 初出を確かめれば第一話「少女のワルツ」が『オール讀物』に発表されたのが二〇一〇年八月号、第二話「若き喜びの歌」が同一二月号。二〇一一年八月号掲載の第三話「朝日のようにやわらかに」以降の五話が東日本大震災後の執筆となると見ていいだろう。

 第四話「厳格で自由な無言歌集」(同一一月号)、第五話「ハイブリッドのアリア」(二〇一二年四月号)と、第三話に続いて物語はおそらくは最初からの構想の通りに進む。それが、第六話「超絶なる鐘のロンド」(同八月号)に至って、突如として物語は転調して、最終話「幻想と別れのエチュード」(同一一月号)を迎える。

 東日本大震災をはさんで二年間にわたる執筆だったわけだが、最終二話の転調は、まさにそれ故だった。「超絶なる鐘のロンド」で仙台にピアノの調律に出かけた鳴瀬が東日本大震災に遭遇して、最終話「幻想と別れのエチュード」へと続くのだが、この物語の転調に戸惑った読者も多いだろう。なにもこの物語に〈震災〉は要らなかったはずである。あたりまえのことながら、最初の構想段階では東日本大震災は発生していなかった。おそらく〈震災〉と関係なく、構想通りに物語を終えることもできたに違いない。だが、作家はそうはしなかった。『調律師』執筆中の二〇一一年八月に私が担当したある雑誌の熊谷さんへのインタビュー記事を引く。

 

 沿岸地域を歩いた。かつて教師として壊滅が報じられた気仙沼市に暮らした。見知った町並みと、目の前の惨状が重ならない。知っていたはずの町が見知らぬ被災地と化していた。言葉をなくした。言葉の力を信じられなくなった。小説が書けなくなった。

「アマチュア時代も含めて、小説を書くのがこんなに大変だと感じさせられたのは初めてですね。自分の小説のなかに入り込めない。現実を前に、小説の世界はあまりにちっぽけです。小説なんか書いても意味がない。正直、そう思いました。人間は自分の行為になんらかの意味があると思えるから続けられる。それが無意味かもしれないと感じてしまったら、なかなか続けられるものではありません」

 それでも書き続けた。震災のせいで書けなくなったと思われるのが嫌だった。被災地に生きる作家の、意地なのかもしれない。また、書けば、書けてしまう。染みついた小説家としての技がそうさせる。そんな自分にさらに腹が立った。小説家廃業まで考えたが、書き続ける、その決意がやがて生まれた。――メディアファクトリー『ダ・ヴィンチ』二〇一一年八月号

 

 まさしく本書執筆中の熊谷さんのことばである。「小説家廃業」とまで口にしているが、あのころ、熊谷さんが半ば本気でそれを考えているのを私は感じていた。熊谷さんは、いらだち、怒り、悲しんでいた。熊谷さんだけではない、おそらくは私も、あるいは被災地に暮らすみなが、そうだった。そして、熊谷さんに書き続ける決意が生まれて、『調律師』は転調した。

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調律師
熊谷達也・著

定価:本体630円+税 発売日:2015年12月04日

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