――寝るときは?
石井 アジアはマラリアがすごいので、路上であっても蚊帳をつるんですね。その中に臭い男どもが五、六人ぎっしり入る(笑)。で、みんなでマズイ酒を回し飲みしながら話して、酔っ払ったらそのままガーッと寝ちゃう。
――すごいなあ。で、圧巻のインド篇ですが、マフィアが誘拐してきた子どもの手足を切って物乞いにするという話は事前に知っていたんですか。
石井 子どものではなくて、自分で自らの手足を切って物乞いになるという噂は、旅行者だったら誰でも聞いたことがあると思うんですが、それが本当の話なのかどうかを確かめたかった。それと、親が自分の子どもを売るとか、あるいは乞食に子どもを貸し出しているとか、その真偽も突き止めたかったんです。いろいろ聞いて回ったら、まず言われたのが、「お金のために自分の子どもを売ったり手足を切ったりするような非情な人間はいない。それは俺たちを悪人だと見なす金持ちたちのたてる勝手な噂だ」と。ムチャクチャ怒られた記憶があります。一方で、子どもを誘拐したり売りさばくという事実は厳然としてあって、調べていくうちにマフィアの存在に突き当たったということなんです。
――しかし、あの娼婦とマフィアが棲む魔窟に入って行くには相当な覚悟が……。
石井 いりましたね。そこで人生が終わるかもしれないというぐらい怖かったです。ただ、そうした恐怖よりも、事実を知らなくてはいけないという自分にとっての宿命みたいなものを感じていました。もちろん、あのときのテンションがあったからこそ魔窟に入って行けたんでしょうね。インドに辿り着く前に、アジアの何百、何千という物乞いや障害者に会っていたわけです。で、インドで子どもが手足を切られる話にぶち当たって、正直な話、頭がおかしくなるぐらい辛かったんですよ。ホテルに帰ってメシを食っていても、涙がボロボロ出てくるような状態なんです。そのテンションがあったからこそ行けたのであって、今だったら絶対に行けません。
――通訳はどうだったんですか。
石井 最後の場面で、マフィアの一員に内情を聞くところでは、通訳は号泣しっぱなしでした。オイオイ声をあげて泣くんです。それを「どうなの、どうなの」と急(せ)かして訳してもらうわけですが、こっちもマフィアの話があまりに酷くてそれ以上は聞いていられないという限界を感じました。ただ、こう言ったら偉そうですが、何が行われているのかをきちんと伝えなければいけない、そのためには歯を食いしばって聞かなくてはいけないという使命感のようなものを感じていたことは確かです。
――今回書くにあたって、たとえば旅のエッセーを書いている人とか、誰か頭に浮かんだ人はいたんですか。
石井 強いて言えば、小説のような形で行こうと思っていました。取材対象と同じ視点で、主観をまじえて彼らの姿を描写し、問題提起をしよう、と。構成としては、連作小説や神話のようなものが頭にありましたね。いろいろな例を出して、疑問を投げかけ、あとは考えてくださいというスタイルです。何でもそうですが結論なんてありませんよね。ましてや僕のような若造が理屈を述べて何かを断罪しても笑われるだけです。僕には問題提起をすることしかできないと今でも思っています。
――次に書きたいものは?
石井 興味のあるものはいろいろあります。ひとつは難民もしくは紛争の中の芸術。死と隣り合わせの場所に、どういう芸術があるのか知りたいんです。ふたつめは、路上の性ですかね。路上生活者の中にも結婚があるし、セックスもあるし、恋愛もある。それを描いてみたい。それ以外には、人口に絡んだ問題などにも興味があります。日本であれば、お遍路ですかね。ただの遍路ではなく、「へんど」。つまり、障害者あるいはハンセン病の人たちの遍路の旅。
――楽しみにしています。
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