2012.05.23 書評

誰も知らない「黒い皇帝」の真実

文: 名越 健郎 (拓殖大学教授)

『独裁者プーチン』 (名越健郎 著)

 5月7日にロシア大統領に復帰したウラジーミル・プーチンほど、ユニークかつ異色な指導者は、世界を見回しても稀だろう。

 サンクトペテルブルクの貧しい労働者の家庭に生まれ、泣く子も黙るKGB(旧ソ連国家保安委員会)のスパイを経て、2000年、巡り合わせで大統領に就任。12年にわたり世界最大の領土を持つロシアに君臨したが、本人は辞める気はさらさらなく、さらに2期12年の治世を念頭に置いている。

 高騰する石油など資源の国策利用が成功し、ロシアに初めて大衆消費社会を実現し、大国の座に復帰させた功がある。一方で、権力の一元支配を推進し、汚職・腐敗が拡大。社会の閉塞感が強まり、昨年末から中流層の反プーチン運動「ロシアの冬」が吹き荒れたことは周知の通りだ。

 本書では、この「鉄の男」と呼ばれるプーチンの人物像に迫り、その特異な統治を肉声やエピソード中心に紹介するよう努めた。

 私は通信社の記者としてプーチン政権下のロシアで3年暮らしたことがある。今年から大学に転職したが、教鞭をとってひじょうに意外だったのは、学生の間でプーチン人気が意外に高いことだった。

 その訳は、戦闘機に乗ったり、レーシングカーを運転したり、ハリウッドスターを前に英語の歌を披露するなど、パフォーマー政治家としてもさることながら、何でも1人で決断し、トップダウン方式で実行させるのがクールだからという。

 日本の政治の体たらくもあり、若い世代の間で独裁に対する漠然としたあこがれが芽生えつつあるのでは、と思ったりもしている。

 独裁者・プーチンには、様々な政治家の顔が同居している。あえて日本の政治家で言えば、ワンマン支配と政権長期化、最高指導者への復帰は「吉田茂」、豪腕とバラマキは「小沢一郎」、マスコミ操作と政治センスは「橋下徹」、ヘリで現場に飛ぶ拙速やカッとなる苛立ちは「菅直人」、情報機関や警察を重視するカミソリは「後藤田正晴」、国益重視と民族愛国主義は「安倍晋三」、ドイツ語の通訳もでき、文学に通じた博識は「宮沢喜一」、スポーツマンでぶっきらぼうな直言は「石原慎太郎」、貧しい境遇から一代で飛躍し、大派閥を率いて取りまき資本家に利益誘導する点は「田中角栄」といったところだろうか。

 プーチンと対極に位置する政治家は、「鳩山由紀夫」だろう。政治家エリート一家の出身で、決断は人任せ、当事者意識がなく、レトリックを弄して墓穴を掘った優柔不断な鳩山は、プーチンが最も忌み嫌うタイプだ。

歴史に逆らいきれるのか

 KGB体験が特異で奇怪な独裁者を生み、ロシアの伝統社会がそれを受容した。だが、さすがに長期政権は腐敗汚職の温床となり、社会に停滞感や閉塞感が強まってきた。過去3年間で実に125万人がロシアを脱出したが、その大半は若者や中間層、インテリなどロシアを支える人材ばかりだ。

 古くて新しい大統領のプーチンが、民主化や改革に舵を切らない限り、中間層の反発が再び台頭するだろう。民主化を押さえ込んだプーチンは歴史に逆行する「反動政治家」でもあり、今後は歴史の潮流との争いとなる。

 柔道五段のプーチンは、親日家でもある。「私が今日あるのは、柔道のおかげ」「柔道は日本の長い文化伝統が生んだ哲学だ」と公言して憚らない。2人の娘のうち1人は日本語と日本の歴史を学んでいる。読書家でもあり、書斎に日本の文化や哲学に関する翻訳本を置いているという。

 プーチンが最も親しい日本人は、柔道五輪金メダリストの山下泰裕・東海大学教授だ。プーチンは柔道の国際啓蒙活動を行う山下氏に一目置き、プライベートで何度も会っている。

 プーチンはある時、山下氏に対して「日本とのパイプは君だけだ」と話したといわれる。日本の首相が1年で交代するだけに、政治家との交友は確かに深めにくい。

 日露関係は一昨年のメドベージェフ大統領の国後島訪問で、ソ連崩壊後最悪の段階に陥ったが、リセットを図ったのもプーチンだった。3・11東日本大震災直後の閣議で、「日本は頼りがいのあるパートナーだ」と述べ、関係機関に緊急支援を行うよう指示した。プーチンの震災外交を機に両国関係は持ち直し、新プーチン政権下で改善が進みそうだ。

 相手を敬う柔道家の面目躍如だが、肝心の北方領土問題でプーチンは歯舞、色丹の二島引き渡しで最終決着という立場を崩していない。頑固な性格だけに、今後も「二島」以上の譲歩をすることは考えられない。

 柔道を愛するプーチンは本音では平和条約締結や日露関係発展を望んでいるようだ。大統領選挙戦中に提唱した領土問題の「ヒキワケ」が何を意味するかが当面の鍵となる。

独裁者プーチン
名越健郎・著

定価:861円(税込) 発売日:2012年05月21日

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