書評

翻訳界の「ドリーム・チーム」が伝える
連合国、 枢軸国双方の子どもたちの日記

文: 「本の話」編集部

『私たちが子どもだったころ、世界は戦争だった』 (サラ・ウォリス、スヴェトラーナ・パーマー 編著)

〈何とかして、もう一刻も早く壁の向こう側にたどり着きたい――その思いで胸が苦しいほどだ。死刑囚が、その忌まわしい牢獄で、その牢獄の壁を外から打ち壊そうとするハンマーの音をはっきりと耳にした時どうなるか、それを想像できる者などいるだろうか? ぼくたちにもハンマーの音が聞こえるのだ――〉(二百七十六頁)

 ベルリンの愛国少女、リーゼロッテ・Gがドイツ敗戦の際に噛みしめた屈辱感は、赤根洋子訳で次のように表現されている。

〈神はなぜ、私たちにこのような奴隷状態をお与えになったのだろう。胸が張り裂けそうだ。ドイツ民族はいったい何になり果てたことか。自分がこの時代を生き延びられるとは私には思えないが、神の道は人間には測りがたい。神は意のままに人間の運命を決める。私たちが生き延びる運命なら、この時代は、私たちに加えられた恐ろしい恥辱を永久に思い起こさせるものとなるだろう〉(三百五十八頁)

 

 こうした各国の少年、少女たちの日記に接して、私たちが感じるのは、実に多彩な戦時下の青春があり、思春期があったということである。たとえば、日本の読者は、同じドイツの占領地域でも、フランスとポーランドでは、その過酷さがまったく違うことに驚くだろう。パリのミシュリーヌには、ドイツ軍将校の誘惑をふりきる自由があるが、ポーランドの氏名不詳のユダヤ系少年には、生存の自由そのものがない。

 田口俊樹は、イギリスの青年ブライアン・プールが、ペンパルであったアメリカの女学生トルーディ・ラックにあてた戦中の手紙をまさに語りかけるように訳しているが、ダンスパーティに興じ、北アフリカの前線でも、「女の子」のことについて書くブライアンの手紙と、神国日本の大義を疑いながらも、散ろうとする特攻隊員の佐々木八郎の苦悩が同じ時期に書かれたものであることに驚く人もいるだろう。

 また、サラ・ウォリスは、日本の特攻隊の若者を、原理主義勢力の自爆テロのような狂信的なものと考えていたという。だが、佐々木の手記を読んで、「なんとその考えが繊細であり、批判的精神にみちていることか」と考えを改めたという。

 

 著者の前書きにあるように『アンネの日記』などの先行作品群と違い、本作品の特質はその立体構造にある。戦時下に大人になるということはどういうことか、というひとつのテーマにくし刺しにされながら、日記の書き手の環境と個性は驚くほど違う。その違いを通じて読者はあの戦争を多面体として捉えることができるのである。

 その多面体は見る角度によってまったく違う形をとる。しかしその多面体が集める光のプリズムは一点を照射しているように思える。

 敗者のなかに勝者があり、勝者のなかに敗者が存在する。絶望のなかに希望があり、希望の隣り合わせに絶望がある。

私たちが子どもだったころ、世界は戦争だった
サラ・ウォリス・編著 , スヴェトラーナ・パーマー・編著 , 亀山 郁夫・ロシア語訳 , 河野 万里子・フランス語訳 , 関口 時正・ポーランド語訳 , 赤根 洋子・ドイツ語訳 , 田口 俊樹・英語訳

定価:1995円(税込) 発売日:2010年08月07日

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