

10年前のある日。帰路の電車で、私は知り合いの脚本家に薦められた小説を読んでいて、不覚にも涙が止まらなくなってしまった。わりと混んだ電車内で中年男が号泣する様はかなり異様だったに違いない。まわりの視線に耐えられなくなり途中駅で電車を降りた。ホームのベンチでたっぷり時間をかけて残りを読み切り、涙が乾くまで余韻に浸り、そして考えた。
この物語を、必要とする誰かに何とかして届けたい、と。
物語は、朱川湊人氏の『花まんま』、後に直木賞を受賞した作品だ。
私はドラマ番組のディレクターを生業としている。だから物語を誰かに届けるにはドラマや映画という手段がある。
朱川さんや版元の皆さん、映画会社の方々に支援していただき、私は『花まんま』映画化のチャンスをもらった。しかし、主演俳優も決まりクランクインまで3か月というところで、主幹会社の一つが映画事業から撤退することになり制作が頓挫してしまった。その後数年がかりで何度もチャレンジしたが、残念ながら映画化は実現できなかった。
最近、ようやく願い叶って、別の作品だが朱川作品を手掛ける機会を得た。昨年11月に「世にも奇妙な物語」で放送された「昨日公園」だ。「昨日公園」は、ご存じの方も多いと思うが、2006年に堂本光一さん主演で同番組で放送された。今回は「世にも奇妙な物語」の25周年記念企画で名作をリメイクすることが決まり、私はリストにあった「昨日公園」を半ば強引に「自分がやる」ともぎ取ったのだ。主演は、今をときめく有村架純さん。最高に頑張り屋の女優で、友人を助けるために奮闘する主人公にぴったりだった。
朱川ファンにも「世にも~」ファンにも人気の作品のリメイクということで、それなりのプレッシャーを感じながらもやり甲斐を持って作ることが出来た。
そもそも、私が朱川作品に強く惹かれるのは何故か。
一言で言うと「人生に効く」からだ。
ちょっとオーバーに聞こえるかもしれないが、私はそれを実感している。
前述した通り、途中下車した駅のホームで私は『花まんま』という物語を必要とする誰かに届けたいと思った。必要とする誰かというのは、大切な人を亡くし、自分を責めている人たち。かくいう私も、親友が自死し、救えなかったことを後悔していた。
『花まんま』は、あるテレビニュースを見たことがきっかけで創作した、と以前朱川さんに伺った。
それは、理不尽な事件で殺害された女性の父親のインタビュー。父親は、娘が苦しんで死んでいった時、知らずに昼食を楽しんでいた。そんな自分が憎くて許せなくて、以来食事が喉を通らなくなってしまったという。
朱川さんは、どこかでその父親の目に触れることを願って『花まんま』を書いた。「自分を責め続けるあなたを、亡くなった人はきっとあの世で心配しているよ」というメッセージを込めて。
その父親が『花まんま』を読んだかは分からない。でも、朱川さんのメッセージは同様な気持ちを持つ多くの人に届き、その人の人生は物語に触れる前と後とでは変わったに違いない。
良い小説、面白い小説はよくあるが「人生に効く」小説はなかなかない。しかし朱川作品は、「いい話」であれ「悲しい話」であれ「怖い話」であれ、それを必要とする人に確実に、効く。朱川さんがどの作品にも「こういう人の心に届けたい」と、想いを乗せているからだと思う。
勿論、新作『わたしの宝石』も同様だ。
6編の作品の中に、誰もが必ず「人生に効く」物語を探し出すことだろう。
私は「わたしの宝石」のある一編に出てきた「誠を尽くす」という言葉を日に一回は使うようになった。
例えば「これではまだ誠を尽くしたとは言い難いな」とか「結果は伴わなかったけど誠を尽くしたからいいや」などというように。
自分で誠を尽くしてさえいれば良いのだ。他人からの評価や自分ではどうしようもないことが、どうでもよくなる。この言葉で人生かなり楽になった。
私にとって、朱川作品は「宝石」である。
ただその「宝石」を隠匿し一人で楽しむつもりはない。
「この宝石美しいよね」と全国の人々と共有したい。
だからまた、朱川作品のドラマ化・映画化を画策するのである。
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