バーンとテーブルを叩かれて試験に落ちました(笑)。行く先もないので昼間は地元の高田馬場のカラオケボックスで働いていました。その後、欠員が出たからもう一度受けないか、と鳩山事務所の当時の採用担当秘書に声を掛けてもらったんです。その時、「どこでもいいんだから、『出馬する』って言った方がいいよ」とアドバイスを受けました。面接で早速また聞かれたので、今度は「山中湖村で出たいです」と答えました。
そうしたら邦夫さんが、「山中湖村っていうと山梨2区か。あそこは堀内光雄先生のところだから厳しいぞ。でもまあ、君が出る頃にはもう変わっているかもしれないな」と笑ったので、「いや、山中湖村の村長選に出たいんです」と答えたら「志の低いやつだな」と言われながらも、何とか仮採用に漕ぎ着けました。
──秘書になって何をしたかったんですか?
上杉 政策決定の現場を見てみたかったんですよ。その目的は充分果たせました。とは言っても最初は皿洗いやゴミ捨て、庭の雑草取りからスタートです。そのうち奥さんの運転手になりました。それから議員本人の運転手になりましたが、秘書の世界ではこれを「運転随行」と言います。
随行になったとき、ちょうど民主党の結党があったんです。当時厚生大臣の菅 直人さんがこっそり来て、鳩山由紀夫さん、邦夫さん、仙谷由人さん、岡崎トミ子さん、簗瀬 進さんたちが集まって軽井沢で極秘会合を開いたんですね。あまり知られたらいけないので事務方は絞って、由紀夫さんの秘書と僕の二人だけが部屋の中に入りました。
僕はメモを取る役目でしたから、必死でやりましたよ。その後、細川護煕さんたちが合流して、今の民主党の原型になった新民主党の結党もありました。このときは国立国会図書館で準備委員会が開かれましたが、その委員会にも事務方として入りました。
一つの政党を立ち上げるときには、政策、つまり公約を決定し、公認候補を決めます。その重要でダイナミックな流れを目撃できたことはラッキーでした。本当はそのくらいで満足してもう辞めようと思ったのですが、結局、通算で五年間議員秘書をやりました。その後ニューヨーク・タイムズの取材記者を経て、念願の政治ジャーナリストとして政界の取材を続けているわけですが、五年間の秘書体験は、僕の取材活動の核になっています。
──今回の本は文化論ではなく、具体的なエピソードを豊富に並べて二世議員を世に出すからくりに迫っています。
上杉 そうですね。書き終わった今、一つの確信を得ました。これは、文化ではなく政治システムに関わる問題だ、という確信です。カネと利権が絡んだ問題の解決を、政界の自浄作用だけに期待するのはしょせん無理です。最終的には、国民の意思で変えなければならない問題なのです。
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