- 2016.07.20
- インタビュー・対談
毎日を自分らしく、ポジティブに生きる人生の達人(前編)
「本の話」編集部
『もうすぐ100歳、前向き。 豊かに暮らす生活術』 (吉沢久子 著)
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#随筆・エッセイ
今の若い人は親に頼ってばかり?
――母子家庭だったお母様の許を離れて、一人暮らしを始めたのは何歳ですか?
吉沢 えっと、15歳くらいのときです。母とはもっと前に別れ、その頃は叔父の家にいました。叔父は可愛がってくれましたし、親戚ですから色々と私の面倒を見てくれて、辛い思いは全くしませんでしたが、そこでもある程度、叔父の家族とは距離を置いて暮らしていました。友達と過ごしている時間の方が多かったです。叔父の家には下宿するみたいなつもりでいて、気持ちの上では一人でやっていくという感じでした。
――働きだされたのも15歳のときですか?
吉沢 えぇ、アパート借りようと。それと、北海道の父(母とは離婚)の許に暮らしていた異母妹がしばらくして上京し、一緒に暮らすようになった。妹は音楽学校で声楽を学ぶために出てこなきゃならなかったんです。そしてアパート暮らしを二人でするようになり、妹は親に養ってもらっていましたが、私はそれがいやだから頼りませんでした。
――当時、若い女性が早い段階で親の許を飛び出して自分で働いて自立したいっていう人はそんなにいなかったんじゃないでしょうか?
吉沢 そうかもしれないんですけど、私は母親と一緒に暮らしたくないし、母親みたいに人(離婚した父)に頼って生きるのはいやだっていう気持ちがあったので、とにかく自分でなんでも働いて、それから勉強もしようって思っちゃったんですよね。
――若いと怠けて変な方向へ行ってしまったり、自分自身の中でバランスとるのが難しいと思うのですが。
吉沢 でもね、わりとそういう自立心旺盛で一生懸命自分でやっていこうっていう人は今より昔の方が多かったですよ。今の若い人は親に頼ってばかりいるでしょう。
――姉妹一緒の暮らしはいかがでしたか?
吉沢 妹とは4歳ほど離れているのですが、けんかしながらも仲良くやっていました。二人での生活は面白かった。小畑実さんなんていう流行歌を歌って活躍した人と妹が一緒の学校だったもので、年中そんな人が家に来ていました。
――その当時から料理されていたのですか?
吉沢 少しずつね。料理に興味を持ち、栄養学校へ行き出しました。栄養学校で実習があるでしょ。美味しい料理を習うと、もう一度再現してやれって家でもトライするんです。でも、その頃はまだ戦争中ですから食材が買えなくて、代用食みたいでしたけどね。戦争で料理屋さんがみんな閉店しちゃっているから、現役の板前さんが栄養学校に講師に来ていたんですよ。だから贅沢にも、色んなことを教わることができました。料理の基本を覚えただけですけど、その中に好きなレシピがあって、今でも一番良く作るのがあります。中国人の先生に習ったパイペンローというの。
――とても手間のかかる料理ですよね。
吉沢 それがね、パイペンローなんていってもね、お肉じゃなくてエビをすって食パンの間に挟んで、ちょっと蒸すんです。そうするとピタッとくっつくでしょ、それを形良く切って揚げる。習った当時は冷蔵庫なんてなかったですけど、冷蔵庫に入れておくとお客様用にいつでも使えるんですね。だから結婚して古谷(夫)と暮らすようになって、お客様用のレシピとして沢山作りました。すごく美味しいの!(笑)。電子レンジよりは蒸した方が美味しいですよ。
中編へ続く
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