- 2016.08.24
- 書評
四十肩すら魅力的な女探偵。葉村晶は唯一無二、圧倒的なヒロインなのである。
文:大矢 博子 (書評家)
『静かな炎天』 (若竹七海 著)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
初めて『プレゼント』『依頼人は死んだ』を読んだときの「日本にこんな女性探偵のシリーズが生まれるなんて!」という喜びは、今でも覚えている。葉村晶シリーズは、それまでの日本のミステリより、むしろ海外の女探偵ものの味わいに近かったのだ。
たとえば、私立探偵でも素人探偵でもなく、調査員という役どころ。家族との確執を抱えていること。女性読者が共感と憧れの両方を抱ける絶妙なバランスのヒロイン設定。探偵としてはタフでありながら、生活感もきちんと描写されているところ。
これらはどれも、八〇年代から九〇年代にかけて日本のミステリシーンを席巻した、海外の女性作家たちが描く女性探偵のシリーズの特徴だ。当時続々と生み出された彼女たち女探偵は、決してスーパーヒロインではない。文句もいうし愚痴も出る。でもへこたれず、真摯に仕事に向き合う。女だからと一人前に扱ってもらえない歯がゆさや、「あるある」という人間関係のわずらわしさの中、しぶしぶながらも頑張るヒロインに読者は共感を抱いた。他にも、ちくりと人を刺す鋭い観察眼や軽やかなユーモア、食事やワードローブといった生活描写にわくわくしたり憧れたりという楽しみもあった。
その世界が、日本を舞台にごく自然に再現されていたのである。中でも、葉村晶シリーズを読んだとき思い浮かべたのは、S・J・ローザンの『チャイナタウン』(創元推理文庫)に出てくるリディア・チンと、リザ・コディ『ロンリー・ハートの女』(ハヤカワ・ミステリ文庫)のアンナ・リーだった。こういうのを、日本の作品でも読みたい、と思っていた作品たちだ。そうしたら若竹七海が書いてくれた。どれだけ感動したことか(ちなみに、桐野夏生の村野ミロシリーズを読んだ時にはサラ・パレツキーを連想した)。
ところが、巻を重ねるうちに海外のシリーズとの大きな違いが見えてきた。まずはロマンスの不在だ。姉との一件が『プレゼント』で書かれて以降は、生活感は出してもプライベートは出さない。もうひとつ、センチメンタリズムは徹底して排除されていることにも留意したい。前述したシリーズものより、葉村晶の方が容赦がない。手加減が一切ない。時折、ぞくりとするほど残酷だ。何より、「女性なのに」や「女性ならではの」という描き方がされないのがいい。ジェンダーを前面に押し出すことなく、ごく自然に「個」として立っている。それは、葉村晶という探偵の最大の特徴である。
そして気づく。最初は翻訳ミステリの構造を日本に移植したと思っていた。けれど、そうではない。もしかしたら最初はそうだったかもしれないが、巻を重ねるうちに、葉村晶の世界は次第に独自の路線を確固たるものにしていった。毒とユーモア、シビアとコージー、そのバランスはオリジナルだ。これは若竹七海にしか作れない世界だ。
つくづく思う。ミステリはもちろん謎解きも大事だが、やっぱりヒロインが魅力的であってほしい。そして葉村晶は、抜群にかっこよくて、最高に共感できて、飛び抜けてクールで、ズバ抜けて笑えて――つまるところ、四十肩すら魅力になるくらいの、圧倒的なヒロインなのである。葉村晶は唯一無二だ。こんなヒロインが日本ミステリ界に存在し、それをリアルタイムで読めることの何と幸せなことか。
もし、あなたが既刊を未読なら、今からでもぜひ遡って読まれたい。こんなクールな探偵、知らないなんてもったいない!