現代の高校生が雷に撃たれたとたん意識は明治六年に飛び、当時の人の体に入っていた――。『蜩(ひぐらし)ノ記』(二〇一一年刊、翌年直木賞受賞)などで知られる歴史・時代小説作家、葉室麟の、まさかの青春ファンタジーである。もちろん葉室作品だけに、基本は征韓論から西南戦争に至る経緯を軸とした歴史小説の骨格を持つ。
実は本書『約束』は、一七年十二月に亡くなった葉室さんの未発表原稿である。ご家族によると、原稿が発見された経緯は以下の通りだ。
福岡県久留米市在住だった葉室家は一二年、同市内で引っ越しをした。その際「取っておきたい書類など」を段ボールに詰め、葉室さんの実家に預けたそうだ。ずっとそのままにしていたが、作家没後の二〇年五月、段ボールの中から「なんとなく今後も必要そうなもの」を選び出し、スーツケースに入れて現在の家に運んだ。同年秋、中身を検分したところ、きれいにプリントアウトされ、右側に穴をあけて綴じられた『約束』の原稿が見つかった。
『約束』には「葉室麟」と署名されていた。葉室麟名義では〇五年に歴史文学賞を受賞したデビュー作『乾山晩愁』があり、この頃に執筆したのではないかと推測される。ただし、〇五年は他の作品を書いていたため、〇六~〇七年頃の執筆の可能性があるという。ご家族は「これも想像だが、原稿のたたずまいから松本清張賞に応募するつもりだったのではないかという気がしている」と指摘する。何らかの事情で応募をやめたと考えられるとのこと。葉室さんは〇七年に『銀漢の賦』で清張賞を受賞し、作家として大きく歩みだすことになる。
「デビュー前、もしくはデビュー前後に書いた作品は他にもあったが、本人が出来に満足せず廃棄した作品もある中で、完結した作品として残したのは、気に入ってはいたからなのかもしれない」とご家族は話している。
この原稿が見つかった頃、ちょうど墓参に訪れた文藝春秋の文庫部長に原稿を預け、今回の文庫化が実現するに至った。
では、作品を見ていこう。
都立高校三年生の加納浩太は、親友の志野舜、従妹の神代冬実、舜の彼女の柳井美樹と居合わせたところ雷に撃たれ、時空を飛び越えてしまった。浩太は邏卒の益満市蔵に、舜は司法卿である江藤新平の書生・芳賀慎伍に、冬実は勝海舟宅に身を寄せる小曾根はるに、美樹は西郷従道陸軍大輔宅で行儀見習いをする得能ぎんになっていた。
四人は「皆で力を合わせて、あっちの時代に戻る約束」をするものの、浩太は西郷隆盛の警護に当たることになり、舜が師事する江藤は西郷と共に征韓論を支持すると言われていた。浩太と舜はいやおうなく歴史のうねりに巻き込まれ、時代の熱を目の当たりにして自ら飛び込んでもいく。ここに警視庁捜査一課長である浩太の父と、その父を逆恨みする元部下も、それぞれ大久保利通と、人斬り半次郎こと陸軍少将桐野利秋に姿を変えて暗躍し、浩太ら四人は明けて間もない明治という時代を疾走する。
若者の成長物語である一方、当時の歴史を描く作家の筆は鋭い。実は、征韓論論争から西南戦争に至る歴史認識と書きぶりに重要な意味が潜んでいる。
葉室さんには晩年に刊行された、幕末・明治を舞台にした二点の作品がある。若き日の西郷隆盛を描いた『大獄 西郷青嵐賦』(一七年十一月刊)と、幕末四賢侯の一人、松平春嶽を通して明治維新を語る『天翔ける』(同年十二月刊)だ。
常々、葉室さんは「明治維新の総括をする必要がある」と口にしていた。そうすることで「欧米化の波や、太平洋戦争の敗戦で否定された日本の歴史を取り戻すこと。現代の日本が失っているものは何か、を書くこと」を目指していた。旺盛に執筆していた一三年、インタビューしたときにそう話し、その頃執筆している作品は「そのための準備だ」と説明していた。日本及び日本人の将来を見据え、前述の二作で総括に乗り出したところだったのだ。
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