昭和六十一年八月にこの本のあとがきを書いているから、それから二十八年経ったことになる。書いたときは三十代だったが、今は六十代。
三十年近い年月は個人にとっても社会にとっても長い。出版にあたり現地チェックしてくれた平野民子さんは現役引退されて久しい。とりわけ建築探偵団にとっては今こうして思い返しても十分に長く、有為転変は避けられなかった。たとえば、最年長団員であった宍戸実は二十五年前に亡くなった。一九二二年生まれだから仕方ないにしても、私より四つ若い清水慶一が二〇一一年に亡くなっている。あとがきに名の出ている私と堀の恩師村松貞次郎先生も物故された。
三十年は社会にとっても長かった。あとがきの最後には次のように書かれている。
「さて、ここに取りあげた都合二三〇物件が、東京・横浜に今も残る主要な近代建築ということになるが、この数を多いと思われるだろうか、それとも少ないと思われるだろうか。いずれにせよ、これ以上減らしてはならない、と今や中年にさしかかりつつある探偵団は考えている」
この本が出るより十二年前、東京の町を歩いて、忘れられた戦前の西洋館とモダニズム建築を探し始めた時、私たちには“遅かった”との思いがあった。戦後も二十八年経ち、その間、高度成長期が入り、目ぼしいものの多くが消えていたからだ。
だから「これ以上減らしてはならない」と書いたわけだが、しかし、大量に減った。二三〇物件のうち、最初に登場する「皇居周辺A1、日比谷公園・丸の内・霞が関」のページをめくると、(6)八重洲ビル、(10)第一勧業銀行宝くじ部、はじめ、(11)、(12)、(13)、(15)、(16)、(23)、と無くなった。もっと正確にいうと、(7)野村ビル、(8)東京中央郵便局、(17)日本工業・楽部会館、(18)東京銀行協会、も一部を残して消えたに等しい。全二十六件のうち、ちゃんと残ったのは十四件。
こんなに消えてはガイドブックとしては成り立たないが、『建築探偵術入門』としてはあり得るから、消えたものもそのまま載せている。ありし日の東京の姿を伝える本として読んでもらえばいい。
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