書評

歴史は「眉に唾をつけて」見て聞くべし

文: 半藤 一利

『十二月八日と八月十五日』 (半藤一利 編著)

 たとえば、「文藝」新年号には「戦いの意志(文化人宣言)」と題して、ずらりと識者が顔をならべております。労を厭わず全員の名を挙げてみます。

 斎藤瀏、本多顕彰、亀井勝一郎、張赫宙、浅野晃、保田與重郎、上田広、富沢有為男、石川達三、清水幾太郎、津村秀夫、火野葦平、中河与一、崔承喜、秋山謙蔵、島木健作、伊藤武雄、(詩)丸山薫、(句)水原秋桜子、(絵)中村研一、小磯良平、野間仁根、(歌)齋藤史。

 といった具合です。

 そのなかのたとえば保田與重郎氏は「文藝春秋」新年号に「攘夷の精神」という力のこもったものを書き、火野葦平氏は「文學界」二月号に「全九州文化協議会」と題する堂々たるの論を発表しておられます。以下同様なので、引用はあまり恣意的にならないよう注意を相応に払いましたが、あるいはまた別の観点からみた“十二月八日”を書くこともできるわけであります。

「第二話 終戦の日」についてはそれこそ汗牛充棟といえるほど資料があります。日記、当時の感想、そして戦後の回想と、こちらはむしろ選ぶに困ります。「はじめに」で紹介した井上ひさし氏他著の本、永六輔氏監修の本の二冊だけでも十分といえば十分なのです。そこでかなり苦心が要りました。ただ、注意しなければいけないことがあります。それは、とわたくしが偉そうにいうよりも、本書にも引きました正宗白鳥氏が昭和二十年十二月二十三日に発表の回想の、“付記”のような一文がいいかと思います。

「与えられた紙数だけの感想であるが、数カ月を隔てた過去の日に於ける感想の記録は、八月十五日当日の実感とおのずから異っているであろう。止むを得ない。この頃頻繁にあらわれる知名人の回顧録、過去の感想談も、眉に唾をつけて見るべきであり聞くべきである」

 まったくそのとおりなので、わたくしも本書でときどき疑問を投げかけて書いているのは、歴史好きの悪癖としてうっかり信用しやすいこころがあるとの自戒によるものなのです。たとえばいまも新聞・雑誌・テレビなどで“八月十五日の皇居前”として使われている民衆が土下座して涙にくれている写真があります。あれはじつは前日の十四日の午後の、終戦と承知しているメディアのいわゆるヤラセであるという風評がある。たしかによくみると、向うのほうに写っている何人かの人は見物かたがたのんびり歩いているようにも見えます。本書では、当日たしかに皇居前にいったという人の日記をいくつか見つけました。結果は、その風聞は風聞にあらずあるいは本当かもしれない、というものでした。

 いずれにせよ、白鳥先生がいうように「眉に唾をつけて」ということが必要で、歴史を書くことのむつかしさはそこにあることは間違いありません。

 なお、本文中の敬称はすべて略しました。

 また、引用の日記や回想などの文献は、詔書をのぞき、新かな、新字とし、ときに漢字をひらき句読点をほどこすなど、読みやすくしたことをお断りいたします。歴史を知らない近頃の若い人たちにも読んでもらいたいと思うからです。いまの若い人は作家や作品を気に入っても、その人の作品をさかのぼって探して読むことをしない。書店の店頭でしか本を選ばない。であるから、こちらから差しだして見せてやり、読んでもらうようにすればいい、と内田樹氏の本で教えられ、なるほどと思ったからです。余計なお世話かもしれません。

 そうそう、識者たちの年齢は誕生日がくれば満でその年齢になるという数え方で統一いたしました。

 二〇一五年四月二十二日

  ――大正十四年(一九二五)、治安維持法が公布された日

(「おわりに」より)

十二月八日と八月十五日
半藤一利・編著

定価:本体540円+税 発売日:2015年06月10日

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