「空海の言霊狩り」荒俣宏(『本朝幻想文学縁起』・一九八五年・工作舎)
いやあ、凄いぞ。
始めからいきなり、「おそらく空海は入定(にゅうじょう)後数百年間、高野山奥の院に生きつづけていたと思われる」
これだもの。
「あるいは、ただ一個所、ミイラ化することからまぬかれえた空海の舌が、カタカタとふるえるようにして陀羅尼(だらに)、つまりサンスクリットの呪言を唱えつづける光景を目撃して、その絵師はひれ伏したかもしれない」
これで、長編伝奇小説一本!
ぼくのような節操のない人間は、たちまち結末も考えずに書き出してしまうところだ。
さらに、追いうちをかけるように、荒俣宏は書いている。
真言とはナツメロである、というのである。
本文を読めば、この意味がわかる。
なんと刺激的な発想であろうか。
本文でぜひ、このおもしろさを味わっていただきたい。
「空海の飛白体」岡本光平(「墨」二〇〇三年三・四月号・芸術新聞社)
書家の立場から、空海の飛白体について書いている。
ここで唸ってしまうのは、なんと一千年以上も昔に書かれた空海の書の筆順が解説されていることである。
そんなことまで解ってしまうのか。
解ってしまうのである。
「梵」の字など、とんでもないところから下の部分が書きはじめられている。
この番号に沿って眼で追ってゆくと、その時の空海の手の動きまで見えてきそうではないか。
「祖師たちの名号を書き入れることは開眼供養ともいうべき魂を入れる行為だったはずで、荘厳な儀式の中で書かれたと想像できるのである」
想像してみよう。
人々が、じっと空海を見つめている。
空海、この時、少しも迷わなかったに違いない。
思い入れたっぷりに、ふいに手が動きだす。
空海の手がぐいぐいと踊るように動いてゆき、そこに思いもよらない文字が出現してゆくのを見た人々は、思わず呻きにも似た讃歎(さんたん)の息を洩らしたことであろう。
その時、空海、唇に自信に溢れた笑みを浮かべていたと、小説ならば書いても許されるであろう。
ちなみに、本書の題字は、岡本さんに書いていただいたものである。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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