「沙門空海」吉田絃二郎(『二條城の清正』・一九三六年・新潮社)
あれほど書けない書けないと、菊池寛が言いわけしていた戯曲を、吉田絃二郎が書いてしまっている。
しかも、菊池寛の「いいわけ」とほとんど前後する時期のことだ。
この時期は、直木三十五も『東京朝日』に「弘法大師」を書いていたらしいので、空海ブームがあったのだろう。
これ、昭和九年に歌舞伎座で上演されている。
空海を歌右衛門。
高岳親王を菊五郎。
今やるなら、
空海――――猿之助
照姫――――玉三郎
高岳親王――――仁左衛門
篁親王――――新之助
というところでいかが。
「空海」清水義範(『日本のこころ〈水の巻〉』・二〇〇一年・講談社)
清水義範の文章は、いつもわかりやすい。
これは、清水義範が頭がよいからであり、きちんと文章にする対象のことを理解しているからであろう。
ここに書かれている日本人の宗教観、誰もがおおいにうなずくことであろう。
ぼくも机を叩いてうなずいた。
著者は、そこからさらに筆を進めてゆき、空海――弘法大師を拝むことの不思議さについても書いている。
「仏教を信仰しているつもりで、釈迦やその他の諸仏を拝むのではなく、その教えの伝達者を拝んでいるのはよく考えてみるとおかしなことである。神社にたとえて言うならば、神を拝むのではなく神主さんを拝んでいるようなものなのだから」
ここからさらに清水義範はキリスト教にまで話を進めてゆくのだが、ぜひこの続きは本文で読んでいただきたい。
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