トランプ大統領の誕生で世界はどう変わるのか? 10月刊の最新著『新・リーダー論――大格差時代のインテリジェンス』(文春新書)で、池上彰氏と佐藤優氏は、トランプ大統領誕生の可能性と、そこから予想される事態を論じている。ここに議論の一部を紹介する。
トランプのメディア戦略――周到に計算された発言
佐藤 トランプの言動は、一見、乱暴なようでいて、周到に計算されている面がありますね。
池上 「不法移民を送り返せ」と言っているのであって、「移民を送り返せ」とは言っていない。
佐藤 「イスラム教徒を入国させるな」とも発言しましたが、入国管理は主権行為で、誰を入国させるかを決めるのも、不法移民を送還するのも違法ではない。その意味で、順法意識はある。
イスラム教徒の入国禁止や不法移民の国外追放は、アメリカでは公には口にしてはいけないとされている。しかし多くのアメリカ人が腹の中では思っていることです。「異質な人々に虐げられてきた本来のアメリカ人の権利を取り戻す」という戦略は、伝統的エリートにも、貧しい白人労働者にも強く訴えかける力がある。
池上 「イスラム教徒を入国させるな」という発言も、よく読むと、「アメリカがきちんとした管理体制を作れるまではイスラム教徒を入れるな」と言っている。ですから、テロリストが紛れ込まない体制ができれば入国を認める、という意味にも取れます。
いずれにせよ、トランプの戦略は、いわば「炎上商法」です。わざとスキャンダラスな、メディアが飛びつくような発言をして注目を浴びる。そして視聴率が取れるから、メディアも便乗します。
CBSニュースの社長は、「トランプがこんなに候補者レースをリードしているのはアメリカにとっては悪いことだが、わが社にとっては実にいいことである」と発言しています。視聴率が上がり、広告が入り、ウハウハである、と。
大統領候補は、テレビで自分のコマーシャルを流すものですが、トランプはあまり流しません。おのずと過激な言動が報道されるから、宣伝広告費は一切要らないのです。橋下徹がわざと極端なことを言ってメディアに取り上げられたのと同じです。
他の候補があまりやっていないツイッターも、トランプは週に八〇本以上も発信しています。アカウント名はトランプ自身の名前で、おそらく本人がやっているのではないかと思います。そこでも、ニュースになるような極端なことを書き続けている。
トランプ自身、次のように明言しています。
「マスコミについて私が学んだのは、彼らはいつも記事に飢えており、センセーショナルな話ほど受けるということだ。(略)要するに人と違ったり、少々出しゃばったり、大胆なことや物議をかもすようなことをすれば、マスコミがとりあげてくれるということだ」
マスコミの性質をなかなか正確に捉えています。そして「私はマスコミの寵児というわけではない。いいことも書かれるし、悪いことも書かれる」と冷静な自己認識もできています。その上で、こう続けています。
「だがビジネスという見地からすると、マスコミに書かれるということにはマイナス面よりプラス面のほうがずっと多い。理由は簡単だ。ニューヨーク・タイムズ紙の一面を借りきってプロジェクトの宣伝をすれば、四万ドルはかかる。そのうえ、世間は宣伝というものを割り引いて考える傾向がある。だがニューヨーク・タイムズが私の取引について多少とも好意的な記事を一段でも書いてくれれば、一銭も払わずに四万ドル分よりはるかに大きな宣伝効果をあげることができる」(『トランプ自伝』)
かなり周到なメディア戦略で、実際、トランプの思い通りに事が運んでいます。
佐藤 「悪名は無名に勝る」です。
池上 そして誇大宣伝を次のように正当化しています。
「宣伝の最後の仕上げははったりである。人びとの夢をかきたてるのだ。人は自分では大きく考えないかもしれないが、大きく考える人を見ると興奮する。だからある程度の誇張は望ましい。これ以上大きく、豪華で、素晴らしいものはない、と人びとは思いたいのだ。私はこれを真実の誇張と呼ぶ。これは罪のないホラであり、きわめて効果的な宣伝方法である」(同)
なぜトランプは支持されたのか?――変化を好むアメリカ社会
佐藤 ここまで開き直っているわけですから、トランプ相手にまともな議論は成り立たないのですが、人々が何を潜在的に期待しているかをこれほど正確に理解しているわけで、その影響力は侮れません。
池上 トランプの場合、世論調査の支持率と共和党候補選びの実際の投票にずれがありました。常に実際の得票率が世論調査の支持率を上回っていたのです。人種差別主義者だと思われてしまいますから、トランプ支持は大っぴらには口にできない。しかし投票では、トランプに入れる。そういう人が多いからです。
佐藤 今回の大統領選で特徴的なのは、共和党のトランプの支持者と民主党のサンダースの支持者が、実はかなり重なり合っているように見えることです。
池上 彼らの根底には、既成秩序に対する反発、何も決められない政治に対する反発があります。さらには、白人層がアメリカ社会の中でマイノリティ(少数派)に転落する、という危機意識もあります。
佐藤 白人もいずれ少数派に転落し、低学歴の白人労働者は低賃金で働く中南米からの移民に仕事を奪われるのではないか。トランプ支持の背景には、そうした白人の不安がある。
池上 既成の共和党員ではないから、発言が新鮮で、「何か政治を変えてくれるのではないか」と期待されている。
佐藤 アメリカには、元々ワシントン政界の内輪でない者に対する期待がありますね。それゆえに、ジミー・カーターというジョージアの農場主が、突然、出てきて大統領になったりする。レーガンにしても、カリフォルニアの州知事は務めましたが、映画俳優あがりで、どちらかと言えば、政治の玄人ではない。クリントンも、アーカンソー州知事。日本で言えば、岩手県知事のようなイメージで、そういう人物がいきなり出てくると、「新鮮だ」と受け入れられる。
要するに、現職であることは必ずしも強みにならず、むしろマイナス要因になるのが、アメリカの選挙の特徴です。
池上 二〇〇〇年のブッシュ対ゴアの大統領選挙の時もそうでした。民主党候補のアル・ゴアは、経験豊かなベテラン政治家。しかし、結局、「ワシントンの内輪の人間」と思われてしまい、敗れました。
今回の民主党の大統領候補選びでは、ヒラリー・クリントンは、「ベテランで経験豊富である」というのをアピールしましたが、サンダースの登場によって、むしろ逆効果になってしまった。戦略を間違えたのです。
共和党の大統領候補選びでも、出馬した候補のなかでは、ジェブ・ブッシュは相当まともな政治家でした。「ブッシュ家の最高傑作」と言われるほどで──あるいは兄貴の前大統領がひどすぎただけなのかもしれませんが──、穏健でバランスのとれたまともな政治家なのに、「やっぱりブッシュだろ。ワシントンの内輪の人間だろ」と思われて早々に脱落しました。
佐藤 それだけアメリカは、疲れている、ということですね。ここまで格差が拡大すると、「アメリカン・ドリームなど絶対に実現しない」ということが、誰の目にも明らかになる。
トランプ大統領で戦争は遠のく?
佐藤 奇妙なことに聞こえるかもしれませんが、トランプが大統領になったら戦争は遠のくと思います。
池上 「オバマはインテリだからむやみに戦争をしないだろう」と思うから、みんな勝手なことができる。他方、「トランプは何をやるかわからない」という怖さが、抑止力になるというわけですね。
佐藤 それともう一つは、「金持ち喧嘩せず」です。
トランプの周囲にいるのは、新自由主義のプロセスにおいて富を蓄積してエスタブリッシュされた連中ですから、失うものが多い彼らは、戦争のリスクを望まない。そうすると、「格差と平和」というパッケージになる。
皮肉なことに「平和」と結びつくのは、「平等」ではなく、「格差」。そして「平等」に結びつくのは、「戦争」なのです。
国民国家的な体制を取っているかぎり、戦争が起これば、金持ちの子供も、庶民の子供も、「平等」に「戦争」へ行かざるを得ない。また戦費を調達するために、累進課税制を取らざるを得ない。「戦争」になれば、いやでも「平等」になるわけです。ピケティの『21世紀の資本』から読み取れることです。
「第一次世界大戦まで格差が構造的に減った様子はない。1870─1914年でうかがえるのは、せいぜいがきわめて高い水準で格差が横ばいになったということでしかなく、ある意味では特に富の集中増大を特徴とする、果てしない非博愛的なスパイラルなのだ。戦争がもたらした大規模な経済的、政治的なショックがなかったら、この方向性がどこに向かっていたかを見極めるのはとてもむずかしい。歴史分析と、ちょっと広い時間的な視野の助けを借りると、産業革命以来、格差を減らすことができる力というのは世界大戦だけだったことがわかる」(『21世紀の資本』山形浩生・守岡桜・森本正史訳、みすず書房)
すると、平等を最も確実に実現する方法は、第三次世界大戦ということになる。
池上 それが嫌ならば、格差を受け入れろ、ということになる。何とも皮肉なジレンマです。
トランプ大統領で日本はどうなる?
池上 トランプが大統領になったら日本はどうなるでしょうか。
トランプは日米安保条約について、「日本が攻撃されたら米軍が助けることになっているが、アメリカが攻撃されても日本は助けに来ない。これは不公平だ」と発言しています。米軍駐留経費も、現在の日本からの「思いやり予算」では不足で、全額を日本が負担すべきだと言っています。
佐藤 トランプの本音は孤立主義ですから、できれば外国駐留のアメリカ軍を本国へ引き揚げさせたい。
池上 トランプは、「アメリカ・ファースト」を主張しています。「アメリカのことが一番。アメリカさえ良ければいい」と。日本や韓国から米軍を撤退させる可能性にまで言及しているのは、「他国のことなど構っていられない」という意味です。
一見、トランプの発言は突飛に聞こえます。現代のわれわれにとっては、アメリカと言えば、「世界の警察官」というイメージだからです。ところが歴史的には、孤立主義こそアメリカの国是でした。
佐藤 トランプの孤立主義は、むしろアメリカの伝統に則っています。
池上 その孤立主義は、アメリカ国内では「モンロー主義」と言われてきました。一八二三年に第五代アメリカ大統領のジェームズ・モンローが議会で演説して提唱した外交方針に由来します。「南北アメリカ大陸以外には、アメリカは干渉しない」「ヨーロッパのことなどには関知しない」と。このモンロー主義は、ヨーロッパにとっては、アメリカの「孤立主義(一国主義)」となります。
佐藤 第一次大戦時も、第二次大戦時も、アメリカは、当初、不介入主義、中立の立場を取っています。第一次大戦後にウィルソン大統領が提唱した国際連盟も、モンロー主義を掲げるアメリカ議会の反対で、アメリカは参加していません。
池上 第二次大戦後、アメリカが孤立主義を放棄したのは、ソ連に対抗するためです。世界が社会主義化されるのを防ごうと、アメリカは世界各地に積極的に介入し、「世界の警察官」を自負するようになっていきました。
しかし、アメリカの歴史から考えれば、第二次大戦後の介入主義の方が例外と言えます。
トランプ大統領で世界はどうなる?
佐藤 トランプが大統領になれば、おそらくメキシコ、カナダ、ブラジルの三国との関係は緊張するでしょう。「南北アメリカ大陸以外には、アメリカは干渉しない」というのがモンロー主義です。南北アメリカについては、「俺の縄張りだから言うことを聞け」というわけです。状況によっては、ベネズエラに難癖をつけて、「石油をよこせ」と攻めて行く可能性もある。要するに、モンロー主義とは、アメリカの視線の方向が変わることを意味します。ヨーロッパにも、アジア太平洋にも、視線は向かず、南北アメリカ大陸の内側に向かうのです。
ただし、トランプが大統領になれば、米中関係、米露関係は、劇的に改善するでしょう。「金持ち喧嘩せず」「強い者どうし喧嘩せず」です。
池上 とくにトランプとプーチンは相思相愛の関係にあります。
二〇一五年一二月の年次記者会見で、プーチン大統領は、トランプについて「大統領選で完全に先頭を走っている」「非常に輝かしく、才能ある人物であることに何の疑いもない」と述べています。他の候補がロシアの孤立化政策を訴えるのに対して、トランプが米露関係の強化を主張していたからです。
このプーチンの発言を受け、トランプも、「国内外で高く尊敬されている人物からほめられるのは非常に光栄なことだ」と、エールを互いに交換しました。
その後、トランプの過激な放言を受けて、プーチンは「彼は『派手な』人物だと言っただけだ」と発言し、トランプも、「プーチンに会ったことはない。プーチンがどんな人かも知らない」「彼は私のことを一度褒めてくれた。私のことを天才だと言ったんだ。『どうもありがとう』と私は新聞の紙上で礼を言って、それっきりだ。プーチンには会ったこともない」と、互いに多少軌道修正を図っていますが、両者の波長が合っていることは間違いありません。
とくに中東情勢に関して、両者の関係が大きな変化をもたらす可能性があります。
トランプは、二〇一五年九月、CNNのテレビ番組で、「ロシアはISISを排除したいと考えており、われわれもそうだ。ならばロシアの好きにさせればいい。ISISを排除させるのだ。気にすることなどない」と発言しています。シリア内戦への米国の深入りを避けるとともに、ロシアによる主導権の掌握を許容すべきだという主張です。この点は、モンロー主義として一貫しています。
中東に関してトランプは、「中立の立場をとる」と表明しています。要するに、「イスラエルへの肩入れはしない」と言っているのです。
佐藤 そうなると、かなり劇的な変化が起きるかもしれません。イスラエル、イラン、トルコの関係が劇的に改善する、という可能性です。要するに、これは、「アラブ」の混乱を「非アラブ」によって抑え込む、という発想ですが、十分あり得ます。この構図の中で、イスラエルとロシアの関係も劇的に改善する。
池上 すでに二〇一六年四月と六月にはイスラエルのネタニヤフ首相がロシアを訪問してプーチン大統領と会談しています。
佐藤 ウクライナ問題をきっかけとした対露制裁に、イスラエルも、アメリカから「対露制裁の仲間に入れ」と言われてきましたが、「うちは小さな国なんで、周りの国とのことで手一杯なんで、そういうことには巻き込まないでください」と逃げ回っていました。従来ほどに「アメリカの後ろ盾」を当てにできないとすれば、イスラエルにとってロシアとの関係はいっそう重要になります。
(文春新書『新・リーダー論――大格差時代のインテリジェンス』より抜粋)
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