これまで歴史小説しか書いてこなかった私だが、デビュー10周年ということもあり、思い切ったチャレンジをすることにした。現代物ミステリーへの挑戦である。
少年時代からドイル、クイーン、クリスティ、『刑事コロンボ』のノベライズ版などを読んできた私は元来、ミステリーが大好きだった。その後もハメット、チャンドラー、松本清張、横溝正史、森村誠一などのミステリーに親しんできたので、ミステリーを書くことに抵抗や不安はなかった。
むろん、取り組むとなったら失敗は許されない。ミステリーの場合、最近は極めてレベルが高い上に、名うての作家たちが鎬を削っている。そうした戦場に割って入るには、相応の覚悟と戦略が必要だ。
まず舞台となる時代の設定だが、これからは徐々に戦後昭和が地続きでなくなり、歴史の世界へと変化していくと思われるので、読者がノスタルジーを感じられる時代がいいと思った。そうした意味で、東京オリンピック前夜の1960年代初頭は、日本が高度成長期に向かうとば口にあたり、得体の知れない熱気が感じられるので描きがいがある。
また、自分のよく知る場所なら縦横無尽に筆が揮えるので、生まれた場所であり、現在も住んでいる横浜中心部を舞台に選んだ。そうなれば当然、米軍との関係は無視できない。そこで在日米軍を物語に絡ませることにした。
次に作品全体に漂う雰囲気をどうするかだが、十代の頃、スウェーデンのマイ・シューヴァルとペール・ヴァールーという夫婦作家の書いた「刑事マルティン・ベック・シリーズ」に出会い、熱心に読んだことがある。そこで、その雰囲気を私なりに再現しようと思った。
マイとペールは、ほかの欧米作家に比べて風景や情景の描写が緻密で、鋭敏な感性と多彩な表現力により、ストックホルムという街を小説の中で見事に再構築していた。むろんそれは、マイとペールの創り上げた異空間だが、路地裏の饐えた臭いまで漂ってくるようなリアリティを持っていた。私はマイとペールに倣い、1960年代の横浜を活字の世界でよみがえらせようと思った。
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