最近は、世の中全体が走りの物を珍重しすぎるきらいがありますでしょう。先へ先へと急ぎすぎて旬が曖昧(あいまい)になり、味ののっていないものまで出回るようになる。これは食べる側の意識にもかかわってくることですから、私はお客さまにもしょっちゅう言ってるんです。「早ければいいってものじゃない。美味しいものと変わったものは違います」と。お客さまには、またその話ですかと思われるほど、それは口を酸っぱくして(笑)。
明確な四季のある日本は、それだけ豊かな素材に恵まれ、料理にも変化を生みだしてきました。この素晴らしい自然界への感謝の気持ちを忘れてはならないという思いを、この本には込めています。皆さんに、もう一度振り返って心に留めてほしいことですね。
──素材と同時に、器にも季節やさまざまな行事が表現されているところも、この本の見どころです。
西 料理だけでなく器も変えて季節を表現し、情緒を味わう。それが日本料理の奥の深さであり、愉(たの)しみであると思います。日本の料理は五節句や祭りなどの行事にちなんだものも多いですから、今回の本ではそうした催事にまつわる料理や器をふんだんに取り入れました。料理や器を見た時に、「ああ、これは何月だな」とすぐにわかることが大事です。
掲載している料理は、京都に古くから伝わるものもありますし、料理人だった父親から学んだもの、さらに私が新たに編み出したものを織り交ぜて、ひと月の献立を七品の構成でご紹介しています。
──日本料理の中で、京料理とはどんな特徴があるものでしょうか。
西 お寺の精進料理、茶事の料理、庶民のおばんざいなどが基盤にあるものだと思います。京都は海から遠く離れた内陸地ですから、昔は海の物は新鮮な状態で手に入れることができず、さまざまな形で保存して料理に利用しました。身欠きにしん、棒だら、一塩をして運んだ若狭のぐじ(甘鯛)、かれい、さば。生のままでは運ぶことのできなかった地の利の悪さを、逆に人々の知恵で独特の料理文化に育て上げたわけです。その中で、鱧(はも)は唯一生きたまま京都へ届く生命力の強かった魚だといわれます。京の鱧文化はそこから生まれました。
それから、京料理は豊かな野菜によって成り立っているともいえますね。いまや「京野菜」として全国に知られるようになりましたが、その種類の多さからも、京の野菜がいかに大事に育てられ、使われてきたかがわかると思います。九条のねぎ、賀茂の茄子(なす)、聖護院のかぶ、壬生の壬生菜……。京の狭い地域の中で、それぞれの気候や土質が独特の形や味を生み出し、それが京料理の滋味を醸(かも)し出してきたのだと思います。
-
『赤毛のアン論』松本侑子・著
ただいまこちらの本をプレゼントしております。奮ってご応募ください。
応募期間 2024/11/20~2024/11/28 賞品 『赤毛のアン論』松本侑子・著 5名様 ※プレゼントの応募には、本の話メールマガジンの登録が必要です。