2015.08.10 書評

「樽屋三四郎」、ひとまずの幕。江戸っ子の姿を借りて、現代を描く

文: 井川 香四郎

『樽屋三四郎 言上帳 高砂や』 (井川香四郎 著)

 若き町年寄を主人公とした『樽屋三四郎 言上帳』の第一巻『男ッ晴れ』の奥付は、二〇一一年三月十日になっています。

 東日本大震災の前日です。三ヶ月連続刊行の予定でしたので、既に第二巻『ごうつく長屋』の見本ができる頃でした。

 その巻にある「寝るは極楽」は、江戸が地震によって津波に襲われ、船が陸へ押し上げられ、そんな災害の中で、赤ん坊を産む漁師の妻の描写から始まります。

 現実は、日本の災害史上最悪の甚大な被害を受け、原発事故もいまだ終息しておらず、多くの罹災した方々が避難生活を強いられています。それほどの大災害でしたから、地震直後にこの話を出すのは憚られました。映像作品ならば、お蔵入りか延期になっていたかと思われます。事実、中国映画の『唐山大地震』の上映は中止され、劇場にかかったのは、つい最近のことです。

 レベルの違い過ぎる話で恐縮ですが、拙作の中の樽屋三四郎は、居ても立ってもいられず、被災した町々に出向いて、自ら汗をかき泥を被りながら、江戸町人のひとりひとりの命を助けようとします。物語の軸は単なる救出劇ではなく、咎人なら放置して良いのか、善人から助けるべきかという究極の人間ドラマを仕組んだつもりです。

 そういう葛藤の中で、罪があろうがなかろうが人を犠牲にしてはならないというのが、三四郎の行動原理でした。この災害に立ち向かう三四郎の姿に、全編に通じる「まずは目の前の人を救う」というテーマがあります。

 江戸町年寄とは、全国の町人代表であり、将軍に謁見することもできました。江戸町奉行の配下で、江戸の町政のすべてを担う護民官的な存在です。そこで、若き町年寄を主人公に据えて、江戸の町人の暮らしをダイナミックに描き、武家ものや市井ものとは違う味わいの、大胆かつ繊細な町人小説を目指してきました。

 将軍に謁見できるという特別な身分というのは、町人を代表して、町人の思いや考えを伝える“特権”があるということです。

 現代のように、代議士制度のない時代において、庶民の意見を“お上”に向かって堂々と代弁することができるという特権なのです。『言上帳』というものを、町奉行に届け、場合によっては将軍に上申することによって、庶民たちの苦しみや悲しみを訴えて改善させることが、町年寄の究極の目的であり、使命だったのです。ですから、町奉行の言いなりの人間ではありません。むしろ、行政を監視するオンブズマン的な役割もありました。

 娯楽時代小説ですから、あまり難しい話はできませんが、現代に起こっている様々な事件を、江戸っ子の姿を借りて、描いてきたつもりです。町年寄の職務は、町触作りや宗門改、商人問屋や職人組合の統制、物価の調整や裁判の調停、冥加金や町入用などの財務から、塵芥処理、浪人や無宿人の世話など多岐にわたりますが、中でも、特徴的なのが、『見懲らし』という役目です。

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樽屋三四郎 言上帳 高砂や
井川香四郎・著

定価:本体640円+税 発売日:2015年08月04日

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