安定した町人社会を乱す輩は、いつの世もいるものです。悪事を働いたとはいえ、奉行所で裁くほどではない軽微な犯罪者、刑法犯ではないが道徳的に 許されない非道をした者などを、人様に見せて懲らしめるという役目がありました。つまり、大きな犯罪をする前に改心させ、矯正させるのです。
ですから、物語の筋立ても、殺しがあって、下手人探索や動機調べをするのではなく、事件に至る前の事情に焦点を当ててきました。江戸庶民の切なる思いを“お上”に訴え、図らずも罪を犯しそうな弱い者の心を救う、町年寄の姿を描いたのです。
しかし、主人公の三四郎は、まだまだ若く、人生経験も足りません。年寄とは、肝煎とか惣領という意味があり、重職とか代表者ということですが、まだ二十五歳くらいの若造には重荷になることも沢山ありました。
子供の頃から、腕も度胸も気っ風も、『樽屋』の始祖のような大物の器量があったとはいえ、数々の壁にもぶつかりました。ですが、生得的な明晰な頭脳と鷹揚で明朗な人柄でもって、物事を解決します。いつも庶民と一緒に物事を考え、理不尽なことであれば、相手が奉行であろうが、老中であろうが、正々堂々と立ち向かう気概のある男なのです。
町年寄の使命は、町人社会の安定を守ることですから、町人の安穏な暮らしを狂わせる“異質なもの”が、江戸の町の中に現れたときには、独特な嗅覚をもって、“異物”を排除します。そのために、町木戸や自身番という町人の自警システムがあるのです。が、それでもまだ見落としてしまう“何か”を、見極めるために眼を凝らしているのが、“百眼”の仕事です。もちろん、これは架空の監視役ですが、たとえば町火消しの鳶などは、ふだんは、そういう役目をしていました。
凡人には気づかぬ、わずかな異変で、事件の予兆を知り、大きな事件に発展する前に片づけてしまう。つまり、三四郎は、事件が起きた後に探索をする奉行所とは違って、事件が起こりそうなことを見極めて、
――何事もなし。
という状態に戻すよう解決する。それこそが、任務なのでした。百万都市の江戸ですから、様々な事情や過去を持った人々も訪れ、色々な事件が数多く起こります。けれど、事件の裏には必ず、人それぞれの悲しい事情があります。見かけは、“適当に、軽快に”生きている若旦那かもしれないが、
「てめえ勝手な理由で、人を苦しめる奴は許せない」
という一点だけでは、頑固なまでの正義感が湧き起こり、事件を片づけ、そして、情愛をもって、可哀想な人を救います。町人道はまた、人情道なのです。
この物語に出てくるような“社稷(しゃしょく)の臣(しん)”は少なくなりました。国家存亡の危機を一身に受けて、事に当たる国家の重臣という、この言葉も死語になりつつあります。せめて物語の中だけでも、意地と度胸で情けをまっとうする男の生き方を、これからも書き続けたいと思います。
今回、三四郎と佳乃が結婚をしたことによって、一旦、物語は幕を下ろしますが、いずれ子育てをし、家庭人となり、一皮も二皮も剥けた「町年寄」がまた庶民のために難事に立ち向かう物語を書くつもりです。楽しみにしていて下さい。長い間のご支援、ありがとうございました。三四郎になりかわりまして、厚く御礼申し上げます。
(「あとがき」より)
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