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真田幸村物の「定本」決定版。歴史の信繁、文学の幸村(中編)

真田幸村物の「定本」決定版。歴史の信繁、文学の幸村(中編)

文:高橋 圭一 (大阪大谷大学教授・江戸文学研究)

『真田幸村』 (小林計一郎 著)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #ノンフィクション

     ○

『難波戦記(なにわせんき)』という実録がある。刊行されず、手から手へ書き写されていった本であるが、江戸時代には広く流布したようで、残存する本は甚だ多い。増補作に寛文十二年(一六七二)の序跋を持つものが有るので、それ以前の成立である。増補本の序跋から、作者が徳川方の人物であったこともわかる。

『難波戦記』は慶長十六年(一六一一)三月に秀頼が上洛し、家康と対面する記事から筆を起こしている。開巻早々、家康に呼びつけられた秀頼は徳川の家来であると、印象付けたかったのであろう。家康は、戦さにおいて味方に手負い・死人が出ないことを最重要視する仁将であり、冬の陣での塙団右衛門他の奇襲を見越していた智将でもある。『難波戦記』は徳川贔屓・家康礼賛の姿勢で貫かれている。

 一方、大坂方の主将大野治長・治房兄弟、渡辺糺等は極めつけの愚将として描かれる。忠臣を排斥し、良策を退け、敵の間者の術中に嵌(は)まる。謀略は幼稚で、戦さをすればすぐ敗走する。淀殿と織田有楽斎はもっぱら味方の士気を落とし、淀殿は秀頼の活躍を阻害する。大坂が滅んだのは、むしろ大坂城内にその原因があった、と書かれている。

 太閤秀吉もまた、悪人であった。『難波戦記』全編の冒頭部を引くが、ここで既に秀頼の代の豊臣家滅亡が書かれていることに注目したい。

……古今の武将たる人、天下を帥(ひき)ゐるに仁を以てし民これに従ふ時は世久し、暴を以てし民これに従ふ時は世危し。……ここに豊臣秀吉と云ふ人は、その身卑賤より出で武威益々盛んにして忽ち四海の逆浪を鎮め、天下を掌(たなごこ)ろに握り、位従一位に至り、官摂政関白太政大臣を極め、故に民これを畏れ士これに従ふ。しかりといえども天は仁なきを悪む故に、二代にして終に滅亡す。

 大仏建立も、秀頼が再興するくだりで、こう評されている。

万民を苦しめ百姓(万民と同意)を虐(しいた)げ、身の栄花を極め、その余慶(ここでは、余りの意)を以て仏像を造立す。仏神非礼を受け給はず、あに積悪(せきあく)の余殃(よおう/もろもろの悪事の報い)なからんやと諸人唇を翻しけり(嘲った)。

 家康が秀頼を滅ぼしたのではなく、秀吉の「積悪の余殃」が豊臣を自滅に追いやった。豊臣氏のいわば自業自得である。

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真田幸村
小林計一郎・著

定価:本体1,050円+税 発売日:2015年10月20日

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