2004.06.20 インタビュー・対談

七年かけた受賞作『火天の城』

聞き手: 「本の話」編集部

『火天の城』 (山本兼一 著)

――松本清張賞ご受賞おめでとうございます。発表からひと月あまりたちましたが、受賞のご感想からお願いします。

山本 最初に受賞の知らせをいただいたときは、うれしいというよりも、むしろ非常に重いものを感じました。ようやくこのごろ、うれしさが湧いてきた感じです。受賞作は取材に七年の時間をかけましたので、評価していただけたのはとてもありがたかったのですが、あそこまでしないと評価してもらえないのかという気持ちも強くて……。この間も誰かに「では、次作は七年後ですね」と言われてしまいました(笑)。それでも友だちに「よかったね」と言ってもらっているうちに、だんだん自分でもうれしくなってきました。

――受賞作の『火天の城』は、とても大ざっぱに言ってしまうと、信長が安土城を造る話です。親子の棟梁がそれを請け負うわけですね。そのプロジェクトの進行するさまを実につぶさにお書きになりました。たとえば今日、サラリーマンでも家を建てるときに、自分の城を持つという言い方をしますね。施主と大工との関係がさまざまなアナロジーで個人住宅にも十分に当てはまる。当然のことながら話が進むにつれて、建築というものが抱える様々な問題がいくつも出てきます。資材の調達から工期の問題、それから施主のわがまま……わがままといったらこのひとの右に出る者はいない信長が施主ですから、面白くないはずがない(笑)。そもそもこの構想は、いつごろ、どのような形でお持ちになったのですか。安土城に関心をお持ちになったのは、いつごろでしたか。

山本 私は東京でライターをしていましたが、十年前に実家のある京都に帰りました。歴史が好きなものですから、今までに行ったことのないところへ暇を見つけては足を運んでみたんです。そのひとつが安土でした。安土というところは関西人でも、どこにあるのか知らない人が多いんですよ。

――実際に、いま安土へ行っても城そのものはないわけですよね。

山本 ありません。石垣だけが残っています。信長に関心があって、信長にまつわることを書きたかったくせに、安土に行ったことがなかった。とにかくちょっと行ってみようと思ったわけです。京都からは車で一時間半くらいで行けます。最初に行ったときは電車で行きましたけどね。琵琶湖の南東にある小さな山です。残っている石垣も上のほうは崩れているんですよ。天主台に上がってみると、今でも赤い瓦の小さな破片がいくつも落ちています。崩れてごろごろ転がっている石に、ひとつ小さな穴があいているのを見つけたんです。それがどうも不自然な穴なんですよ。私の勘違いかもしれないけれども、鉄砲の弾が当たったときの穴かなと思ったんです。安土城が炎上したとき、合戦があったという記録はないんですけれど、小競り合いぐらいはあったかもしれない。むしろそのほうが自然だ。きっとこの城には壮大なドラマがあったに違いないと。

――そこから城の運命に思いを馳(は)せたわけですね。

山本 そうですね。まずは資料にあたりました。その期間が実際はとても長かったんですが。それから、信長のほかの城を廻ってみました。岐阜城であり、小牧山城であり、清洲城であり、そういうところを廻ってみました。そのうちに、ふたつめの大きなきっかけが岐阜城で訪れました。岐阜城はよく「天下を語る城」と言われますけれども、実際にそこに立ってみると、三河が見えるし、伊勢湾が見えるし、濃尾平野が見えるし、鈴鹿山脈、養老山地、それから関ヶ原が見えます。背後には飛騨の山々があって、その山々がすうっと濃尾平野に突き出す岬の突端のようなところにある城です。我々がいまふつうに思い浮かべる城というのは、町中にある高い石垣の上に白漆喰で塗られた江戸期の城になりますが、建物そのものよりも位置が大切なんだ、城というのはなによりもまず場所なんだということをそのとき強く感じたんです。だから、小牧山城にしても美濃を狙うための位置にある。天下布武を実現するためにはやっぱり場所から考えても安土でなくてはならない。

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火天の城
山本兼一・著

定価:本体630円+税 発売日:2007年06月08日

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