平岩弓枝と言えば、「かわせみ」。かわせみと言えば、「るい」。
宮沢賢治の童話『よだかの星』や『やまなし』に登場する「かわせみ」は、魚を食べる殺生を繰り返す鳥だった。この罪深い鳥を、凜として生きる気高い女性のシンボルへと昇華させたのは、ひとえに平岩弓枝の描いた「るい」の輝かしい魅力の功績である。
江戸情緒たっぷりの「御宿かわせみ」シリーズ本編は、文春文庫で34冊。明治の文明開化を描く「新・御宿かわせみ」シリーズも、今月の新刊『千春の婚礼』で5冊目。合わせて、何と39冊! 質量、共に、ギネス級の大河小説である。
大川と呼ばれて江戸の庶民に親しまれた隅田川に面して、旅籠(はたご)「かわせみ」があった。そこに集う人々を描くシリーズ本編は、太陽のように明るい人柄の神林東吾と、るいとの夫婦愛が核になって、人と人とのつながりの大切さを教えてくれる。そして、人と人との結びつきを切断する犯罪の恐ろしさも、教えてくれる。
ところで、このシリーズ本編は、「髷(まげ)を付けた現代物」と言われることがある。戦後の日本社会が直面した人間関係の歪みが、江戸時代に投影して描かれている。だから、時代小説でありながら、現代的なのだ。
一方、「新・かわせみ」シリーズは、江戸情緒と西洋の文物が入り交じる明治初期を舞台とする。ここでも、伝統と革新とが交錯する21世紀の日本と重なっている。
明治維新(1868年)から150年目の2018年は、今から3年後。だが「新・かわせみ」シリーズによって、明治は遠くなるどころか、いよいよ現代人に身近になった。
神林東吾の子・麻太郎は、人々に幸福をもたらすべく、医学に従事している。彼が働くバーンズ診療所は、築地居留地にあった。現在の中央区明石町、聖路加国際病院のあたりである。この居留地では、日本・欧米・中国(清)の文化が入り乱れている。和漢洋が「ちゃんぽん」になっている弊害で、さまざまな犯罪が起きる。
だが、築地居留地の近くには、旅籠「かわせみ」が今なお営業している。女主人のるいは、古き良き日本文化の体現者である。彼女の美意識と価値観は、文明開化の時代にも揺るがない。麻太郎は、るいの日本文化が根底にあるから、居留地に混在する異文化の長所を統合して、和漢洋を調合できる。つまり、「新しい日本文化」のシステムを作りあげることが可能なのだ。