ぽってりとした一重瞼に細い目、薄い唇。何となく間尺の伸びた顔が、ひょろ長い身体の上に乗っかっている。
この春で四十歳になったはずだが、絵だけに打ち込む暮らしのせいであろうか。年の読めぬその顔はつるりとして、浮世離れした仙人すら思わせる。
着るものは夏冬通して、簡素な紬(つむぎ)。生臭物(なまぐさもの)や酒を好まず、好物といえば素麺(そうめん)ひといろ。これが錦高倉(にしきたかくら)市場の青物問屋枡源の主とは、いったい誰が信じるであろう。
「まあ半日も置いといたら、また悪い箇所が見えてくるやろ。それよりお志乃、今日はこれから大事な寄合(よりあい)があるさかい、顔料はもう作らんでええで。お前も早う手を洗って、わしと一緒に来なはれ」
「うちもどすか――」
確かに今日は来客があるとかで、店内は何となく忙しげであった。義理の母、つまり源左衛門たちの実母のお清(きよ)が、朝から客用の膳を出すやら酒の支度を言いつけるやら、女子衆(おなごし)と走り回っていたのを思い出し、お志乃は首を傾げた。
長兄の源左衛門は、痩せても枯れてもこの「枡源」の主。日頃、弟たちに商いを任せているとはいえ、重要な寄合に顔を出すのは当然だ。
それに比べれば自分は所詮、妾の子。出入りの百姓の娘である母が先代の源左衛門に手をつけられ、幾許(いくばく)かの手切れ金をもらって実家で産み落としたのがお志乃であった。
不幸なことに先代は、お志乃が産まれる直前に死去。また母も彼女が十の秋に流行(はやり)風邪をこじらせて亡くなり、困った叔父夫婦は半ば無理矢理、姪を枡源に押し付けたのである。
とはいえ先代の妻であるお清と三人の息子がいる枡源に、土臭い庶子の入り込む隙などない。女子衆より幾分か扱いがよく、お嬢はんと呼ぶには憚(はばか)られる半端な立場のまま、お志乃が娘盛りを迎えてしまったのは、至極当然の成り行きであった。
そんな自分がなぜ、寄合に呼ばれるのか。突き膝の胸元に盆を抱えて目をしばたたく妹に、源左衛門は説いて聞かせる口調で続けた。
「今日は、この中魚屋町(なかうおやちょう)の寄合やない。枡源の今後を相談する、ちょっと難しい集まりなんや。そやさかい、呼んでいるのは町役たちだけやあらへん。枡源の親戚一同に加え、玉屋(たまや)の伊右衛門(いえもん)はんにも、弁蔵(べんぞう)を連れて来てもらったる。さて、お客を待たせるのも悪いし、ぼちぼち行こか」
玉屋伊右衛門は隣町、帯屋町(おびやちょう)の青物問屋。枡源とは遠い姻戚に当たる店である。
(弁蔵はんが――)
懐かしい名に、とくん、と胸が鳴る。それを隠すように、お志乃は慌ててうなずいた。
客が集まり始めたのだろう。小さなざわめきが、階下から波のように聞こえてくる。
乗り板から降りた源左衛門は、開け放されていた障子の向こうに素速く目を走らせた。そして表情をさっと沈ませ、見てはならぬものを目にしたかのように顔を背けた。
京の商家はいずれも細長い家の奥に、小さな奥庭と土蔵を擁している。庭の隅では今、丈の低い白梅の古木が花盛りだが、その姿は深い軒に切り取られ、この部屋からは見えない。代わりに視界を塞ぐのは、黒い瓦を置いた土蔵の屋根だ。
源左衛門は一日のうち幾度も、あの土蔵に目を向ける。そしてそのたび今の如く、深い深い井戸の底を映したような目付きになるのであった。
(まるで死んだ魚の目みたいや)
足音一つ立てず階下に降りた源左衛門は、そのまま縁先に向かい、奥庭の手水鉢(ちょうずばち)で丁寧に手を洗った。その間にも目の前の土蔵をちらちら見上げ、どんどん顔を曇らせて行く。
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