実際のところ、石垣島での万智さんは、「旅人」とはいえないほどさまざまな活動に携わった。毎年旧暦の七夕の時期にひらかれる「南の島の星まつり」では、星を題材にした短歌を募る「美(ちゅ)ら星の歌」コンテストの選者を務め、サンゴの保護活動をするNPO法人のサンゴサポーターとして、海辺の生きもの観察会に参加した。
地域においては、スタートしたばかりの「放課後子ども教室」にも加わった。これは文部科学省の推進事業で、放課後の子どもたちの活動を地域のおとなたちがサポートする取り組みだが、彼女は仕事の合間をぬって公民館に足を運び、学校帰りの子どもたちが宿題をするのを見守った。
また、万智さんと私は、地域の小中学生を対象とした「ことばの教室」という小さな講座を何回かひらいた。その中で、島ことばの面白さや美しさを伝えようと、子どもたちに沖縄の方言を集めてもらい、それを取り入れたかるたを作らせたことがある。「まるまーさん(=とってもおいしい)ママのマース(=塩)煮おいしいな」「お父さんビールを飲んでビーチャー(=酔っ払い)に」などの傑作がそろい、彼女は大喜びだった。この歌人は本当に言葉が好きで、流行語も方言もひとしなみに自分の語彙に加え、詩の言葉にしてしまうのだ、とつくづく思った。本書に収められた歌からも、そのことがよくわかる。
楽しげに鈴鳴るごとき響きかな「じんがねーらん」は銭がないこと
島ことば一つほどけてわかる朝ヤモリするりと部屋に入りくる
彼女は新しい言葉に出会うと、必ず使ってみる。そして、「昨日、島の人に『ワジワジする』って言ったら、『その使い方は違ってる』と指摘されちゃった! 自分一人の気分じゃなくて、何か憤りを感じている対象があるときに使うんだって」「今日は車で来たからお酒は飲めない、って説明するとき、こっちの人は『今日は車わけ』というふうに、名詞プラス『わけ』の形を使うんだよねえ」などと、嬉しそうに考察する。そこには、「旅人」としての好奇心と、言葉を通して「島人」に近づこうとする思いの両方が感じられた。
思えば、俵万智という歌人は、デビュー当時から一貫して「旅人の目」を持ちつづけ、ありふれた日常から詩をすくい取ってきた。
思い出の一つのようでそのままにしておく麦わら帽子のへこみ『サラダ記念日』
はなび花火そこに光を見る人と闇を見る人いて並びおり『かぜのてのひら』
明治屋に初めて二人で行きし日の苺のジャムの一瓶終わる『チョコレート革命』
みどりごと散歩をすれば人が木が光が話しかけてくるなり『プーさんの鼻』
『サラダ記念日』が出版されてから、ちょうど三十年になる。恋人の「この味がいいね」という一言が、ふつうの日を記念日として輝かせたのは、たぐいまれな「旅人の目」による発見であり、それこそが「詩人の目」なのだと思う。その新鮮な視点と、短歌という千数百年の歴史をもつ詩型が結びつくことで、かつてないミリオンセラーが生まれたのである。
彼女の歌の魅力として、もう一つ忘れてならないのが、物事を肯定的に捉える明るさだろう。従来の「短歌的抒情」は、どちらかといえば負の感情を伴いがちなものだったから、湿っぽさのない爽やかな作品は多くの読者を惹きつけた。
『オレがマリオ』の後半には、シングルマザーの屈託も垣間見える。前歌集『プーさんの鼻』で、最初からその生き方を選んだ事情を明らかにした作者であり、その重みは決して軽くなることがない。しかし、そこにも持ち前の明るさを見ることができる。
写真にはおまえ一人が写りおり五月の空から生まれたように
母は母、マザーはマザーでいいのにね しんぐるしんぐる銀杏ふる道
母と子二人で出かければ子どもだけが写った写真ばかりになる、という寂しい上の句の状況を、下の句で「五月の空から生まれたように」と反転してみせる手並みは鮮やかだ。シングルマザーとなったことへの批判めいた言葉に傷ついても、彼女はかろやかに「しんぐるしんぐる」と唱え、歌はからりと晴れやかである。
かつて万智さんは短歌誌のインタビューで、「出来事にプラスの面とマイナスの面があったら、私はプラスのほうを受け止めて生きていきたい」と語っている。日常の風景からさまざまな美や喜びを見出す「旅人の目」と、南島の明るい陽射しを思わせる作風の明るさは、彼女の生き方そのものなのだ。『オレがマリオ』は、そのことが最もよく表れた歌集ではないかと思う。
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