- 2017.09.26
- 書評
紫式部ってこんな人だったかも! 深い歴史の海へ漕ぎ出してくれる物語
文:大和 和紀 (漫画家)
『古今盛衰抄』(田辺聖子 著)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
女性の主人公では紫式部と淀殿がおもしろかった。以前、『源氏物語』を原作にして『あさきゆめみし』という作品を書いたときは、準備のために原文を声に出して何度も繰り返し読んだ。平安の物語文学は語りによって広がっていったのだから、音読することですんなりその世界に入って行くことができる。対訳本で読むよりニュアンスが伝わり、映像が浮かんできた。そうやって源氏物語と向き合っても、作者本人については明確なイメージがわかなかったのだが、本書を読んで初めて「あぁ、紫式部ってこんな人だったかも」と思えた。田辺さんの描く紫式部はいつもねっとりと周囲を見回して、小説のネタを探している意地の悪い女性だ。「清少納言はかしこぶっているが高慢でじつは無学」「和泉式部は歌は面白いが、さしたる才能でもない」など、他人に対する悪口も容赦がない。けっしてお近づきになりたくないタイプだが、人間の良いところも悪いところも冷静に見る目がなければ、千年も読み継がれる物語を書くことはできなかったろう。
源氏物語の成立過程について、「空蝉」「帚木」「夕顔」あたりから書き始めたのではないかとする田辺さんの考察も興味深い。私は「夕顔」からではないかと考えているが、いずれにせよ、最初からあんな大長編を書くつもりはなかったはずだ。まして、最初から最後まで順番に書きとおすなど不可能に近い。おそらく、いくつか出した短編の評判が良く、人気をはくしているうちに、登場人物のキャラクターをもっと膨らませたり、新たな人物をからませたりして、物語をつないでいったのだと思う。
余談になるが、私は紫式部について「越前説」というものを立てている。この物語にもあるように式部は一時、父親の仕事に従って越前で暮らしたことがあった。日本海側は大陸に近く、中国の文化がひそかに流れてくる。男勝りで漢学の得意だった式部は京都にいたら目にする機会のない中国の通俗小説をいちはやく読み、そこから、のちの源氏物語につながる手がかりを得たのかもしれない。
淀殿については、雑誌に連載している『イシュタルの娘』と重なり合う部分が多く、「そうなの、淀殿ってまさにこんな感じ」と納得しながら読んだ。女に生まれたことをこれほど謳歌した人もいないだろう。秀吉が亡くなったあと徳川家康がどんどんのし上がり、豊臣政権は乗っ取られるかもしれないというときに、自分はなにもせず、おしゃれと息子の成長、教育にしか目が向かなかった。ファーストレディとして、また、ファッションリーダーとして君臨する自分に満足しきっていた。淀殿は果たして秀吉を愛していたのだろうか。私は愛情があったと考えている。織田信長とは比べものにならない貧相な小男だが、秀吉には周囲の人をひきつけずにおかない魅力があったはずだ。さもなければ、おねのように聡明な女性が十四歳で嫁入りして、支え続けたはずはない。
本書を読むとあらためて思う。歴史を動かすのはその時代を生きて、ときには報われ、また報われずに死んでいった人々だ、と。淀殿だって、もう少し男及び男社会に関心があったなら、豊臣家があれほど悲惨な末路を迎えることはなかったろう。
田辺さんはあとがきのなかで、歴史が味気ない知識の積み重ねだけになってしまったと嘆いているが、最近は歴史をテーマにしたゲームが流行するなど、風向きが少し変わってきたように思う。妙な方向からかもしれないが、歴女と呼ばれる熱心なファンや武将マニアが話題になっているのも嬉しい。歴史は深く、果てしのない海だ。本書を入り口にして、ひとりでも多くの人がその終わりのない海へ漕ぎ出してくれるようにと私は願っている。
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