前回までのあらすじ
雑誌記者だった「わたし」が喜和子さんと知り合ったのは、十五年ほど前のことだった。彼女は上野図書館に並々ならぬ愛着を抱いていて、図書館そのものを主人公にした小説を書いてよ、と「わたし」に持ちかけてきた……。こうして「わたし」と喜和子さんの友情は始まったが、やがて疎遠になる。久しぶりに会ったとき、喜和子さんは老人ホームに入っていた。友情は復活したものの、喜和子さんは肺炎で入院し、そのまま亡くなってしまった。やり場のない気持ちを抱えていたころ、「わたし」は古本屋で『樋口一葉全集』に出会う。あれはきっと喜和子さんの部屋にあった全集に違いない、と「わたし」は確信するが……。
御徒町に近い場所にあるその古本屋に足を踏み入れたとき、何かが起こる予感がした。
店先に積まれた『樋口一葉全集』は、驚くほど雄弁に語っていた。わたしは深く胸を衝かれた。あの、喜和子さんの小さな部屋、彼女が愛した空間、彼女が愛した物語、わたしたちがいっしょに過ごした時間と瞬間が、その古いワンセットの全集から一気に立ち上がってきて、眩暈を起こさせるようですらあった。
店の奥にちんまりと座っているその店主に向かって、
「わたしはあの全集の持ち主を知っています」
と、話しかけた。こみ上げてくるものを抑えるのに苦労するような思いで。
店主は鼻先に乗せた眼鏡の縁越しにわたしを凝視し、
「はい?」
と、尻上がりの返事をした。
「あれは、あれは、直接、こちらに持ち込まれたものでしょうか? それとも本人の遺言かなにかがあって」
「欲しいの?」
「いえ、それは」
わたしは口ごもった。欲しいかどうかまで、考えずに口にしていたからだ。
「買うの、買わないの? 買う?」
「え?」
「どうするの、あなた。買う?」
「買うって、だって」
「だって、所縁の人物の所持品だったんだろう?」
「ええ、まあ」
「すると、買うんだね」
「ええと、うん、そう、買います!」
「買ったね!」
「買いました!」
「全四巻、六冊、昭和四十九年から平成六年発行、筑摩書房刊、大負けに負けて二万五千円だ。よそではちょっと出ない値段ですよ」
なんだかわけのわからない勢いに気圧されて、わたしはその六冊の一葉全集を買い、自宅への配送を頼んだ。すべての手続きを終えると、店主は恵比須顔でこんなふうに話しかけてきた。
「それで、あなた、麹町の先生とは、どういうご関係?」