前回までのあらすじ
エイリアンハンドシンドロームという、片腕が何者かに乗っ取られたかのように動く奇妙な疾患に冒された高校生の岳士。しかし、腕から聞こえてくるのは兄・海斗の声で、岳士はそれを嬉しく思う。治療を進めようとする両親のもとを逃げ出した岳士は、ひとまず多摩川の河川敷に落ち着くも、男性の刺殺体を発見し、殺人犯と目されることに。追われる立場となりながら、それでも、事件の裏に危険ドラッグとそれを売りさばく集団「スネーク」の存在があることを突き止めるが、今度は売人カズマを張っていた刑事・番田に捕捉され、スパイになるよう持ちかけられる。事件解明のためその話に乗った岳士はスネークの幹部相手に一芝居打ち、カズマの後釜に収まることに成功する。しかし同時に、自らが売ったドラッグを服用した女子高生がビルから飛び降りるのを目撃し、ショックを受ける。そんな折に、隣室に住む女性・彩夏に誘われて……。
第八章
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粘ついた液体が胃へと落ちていく。鳩尾がほんのりと温かくなった。
「どう?」
彩夏が目を覗き込んでくる。
「どうって、べつに……」
そのとき、全身の細胞が大きく震えた。岳士は戸惑いながら胸元に手を当てる。
なにかがやって来る、なにか大きな波動が自分の内側から。その予感に岳士は身構える。
「大丈夫。それでいいの。全部ゆだねて。心も体も……」
耳朶を吐息がくすぐり、甘い痺れに緊張がわずかにゆるんだ瞬間、それは来た。
突風で体が浮き上がったような気がした。岳士は目を見開く。薄暗い部屋に宝石のような煌めきが溢れる。
重力から解放されたかのように体が軽い。温かい液体の中に揺蕩っていて、自分がその中に溶けていくような感覚。
ついさっきまで全身に満ちていた負の感情が洗い流されていく。
幸せだった。ただただ、幸せだった。あの日、海斗の手を放した瞬間からずっと体に巻きつき、締め上げてきていた鎖から解放された。
岳士は大きく体を反らす。暗い天井にも煌めきが満ちていて、まるでプラネタリウムのようだった。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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