ふと、岳士は左手の感触が戻っていることに気づく。岳士は左手を顔の前にもってくると、「海斗?」と小声で話しかける。しかし、返事はなかった。
呆れて、引っ込んでしまったのだろうか? やや思考が鈍っている頭で考えていると、視界に彩夏の顔が飛び込んでくる。
「ご感想は?」
悪戯っぽく微笑む彩夏の声はエコーがかかって耳に響き、脳に染み込んでくる。
「最高です」
それ以外の感想は出なかった。最初の叩きつけられるような衝撃はもう消え去っている。しかし、いいようもない幸福感と解放感は血流に乗って全身の細胞を冒していた。
「嫌なこと、忘れられた?」
岳士は自らの胸の内を探ってみる。海斗の手を放した後悔も、幼馴染の少女に蔑まれた痛みも、そして殺人犯として追われている焦燥と絶望も、もはや欠片すら見つけることができなかった。
「全部忘れられました。こんなに気持ちがいいなんて……」
岳士の感想は、彩夏の熱烈な口づけによって遮られる。彩夏の舌が口腔内を舐めていく。さっきのキスでも、眩暈がするほどの興奮を覚えた。しかし、いま全身を走る官能の波はその比ではなかった。腰が砕け、全身の筋肉から力が抜けていく。強烈なパンチをあご先に食らったかのように、自由が奪われていく。
数秒間、岳士の唇をむさぼった彩夏は顔を離すと、淫靡な流し目をくれる。その視線に射抜かれた岳士は、恐怖にも似た期待に身を震わせた。
「最高なのはこれから」
岳士の体に手を回した彩夏は、濡れた唇から舌を覗かせる。首筋に走る温かく濡れた感触に、岳士は悲鳴じみた声を漏らした。
「最初に会ったとき言ったじゃない」
彩夏はくぐもった声で言う。首、頬、鎖骨と彼女の舌が這うたび、そこから波紋のように快感の波が広がっていく。
「サファイヤを飲んでヤったら最高に気持ちいいって」
「ヤるって……」
口の中がカラカラに乾燥し、声がかすれた。
「岳士君って初めてなんだよね」
彩夏が耳元に囁きかける。黙り込んだ岳士を見て、彩夏は答えを促すように耳たぶを噛んだ。
「は、はい、初めて……です」
わずかな恥辱と、胸が張り裂けんばかりの期待で顔が熱くなっていく。
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