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【冒頭試し読み】羊と鋼の森

ジャンル : #小説

羊と鋼の森

宮下奈都

羊と鋼の森

宮下奈都

くわしく
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『羊と鋼の森』(宮下奈都 著)

「さっきよりずいぶんはっきりしました」

「何がはっきりしたんでしょう」

「この音の景色が」

 音の連れてくる景色がはっきりと浮かぶ。一連の作業を終えた今、その景色は、最初に弾いたときに見えた景色より格段に鮮やかになった。

「もしかして、ピアノに使われている木は、松ではないですか?」

 その人は浅くうなずいた。

「スプルースという木です。たしかに松の一種ですね」

 僕はある確信を持って聞いた。

「それはもしかして、大雪山系の山から切り出した松ではないでしょうか」

 だから、僕にも景色が見えるのだ。あの森の景色が。だから、こんなに僕の胸を打つのだ。あの山の森が鳴らされるから。

「いいえ、外国の木です。これはたぶん、北米の木だと思います」

 あっけなく予想は外れた。もしかすると、森というのはすべて、どこにあってもこんな音を立てるのだろうか。夜の入り口というのはすべて、静かで、深くて、どこか不穏なものなのだろうか。

 その人は、羽のように開いていた蓋を閉じて、その上を布で磨きはじめた。

「あなたはピアノを弾くんですね」

 穏やかな声で言われたとき、はい、と言えたらよかったと思った。ピアノを弾いて、森や、夜や、さまざまな美しいものを表現できたらよかった。

「いいえ」

 実際には、触ったこともなかった。

文春文庫
羊と鋼の森
宮下奈都

定価:792円(税込)発売日:2018年02月09日

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