個性的な先輩たちと違い、外村は、一見、とても平凡だ。板鳥との奇跡的な邂逅がなければ、ピアノに触ることなどなかったかもしれない。演奏はできないし、クラシック音楽に造詣が深いわけでもない。それでも、彼は、自分の中に、多彩な音と大きなイメージを持っている。「森」。北海道の山で育った外村の中には、いつも、木々や風、匂いと光と音があった。外村の内なる音と、学校の体育館で聴いた板鳥の創るピアノの音が共鳴して、物語が始まる。
この外村という主人公の造形が、興味深かった。彼には、ファーストネームが書かれていない。「僕」という一人称で、物語は語られていくのだが、下の名前が呼ばれるシーンがない。親しい友だち、親との会話などがない。唯一、弟との会話があるが、兄貴と呼ばれるだけだ。呼ばれないまでも、どこかに一つくらいこっそり書いてありそうなものだが見つけられなかった。
物静かで地味だが、他者とのコミュニケーションに困る性格ではない。知りたいことはきちんと聞き、自分の考えは曲げずに話す。わからないことは、わからないと言える。自分の心が感じたことを、素直に頑固に信じ通せる。無彩色に見えるのに、柔軟で強烈な自我の持ち主だ。
そんな彼の語り口は、静かで熱い。私は、作中で、外村の二つの声が聞こえるように感じた。リアルな世界で動いている時の淡々としてクリアーな声。自分の内にある「森」の音に耳を澄ませ、ピアノの音に思いをはせる時の揺らぐような、探すような、不安定な声。嘘のない裏表のない性格で、おとなしくても、まわりの人に愛される外村なので、二つの声を意図的に使い分けている感じではない。それでも、彼が「森」について思う時、声が変わる――変わるように感じて、その都度ハッとさせられる。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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