《「ねえ、ほんとのこと聞かしてよ」とお“ふさ”が云った、「あんた独り身なんでしょ」
「諄いな、会いたければかみさんに会わしてやるぜ」
「あたしが押しかけ女房になりたがってるとでも思うの」
「除けろよ、馬が来るぜ」と参太は言った》
やがて江戸に入った参太は、おさんを求めて関わりのあった男たちのあいだを歩きつづける。そして……。
参太を含めた男たちの口から語られるおさんは、かつてどのような作家にも造形できなかった女性像である。その意味でも、これは山本周五郎のひとつの頂点をなす作品であると思われる。
この一人称と三人称が交互に配置されるという方法は、やがて長編『虚空遍歴』で完成されることになる。
「雨あがる」
山本周五郎の作品は多くが舞台化、映画化、テレビドラマ化されているが、とりわけ映画監督の黒澤明が好んで映画化したことはよく知られている。連作長編の『赤ひげ診療譚』を『赤ひげ』に、短編の「日日平安」を『椿三十郎』に、そしてやはりこれも連作長編の『季節のない街』を『どですかでん』に、それぞれシナリオ化し、映画化しているのだ。
この「雨あがる」も、黒澤がシナリオ化に取り組み、ほぼ完成していたが、ついにメガホンは取らなかったものである。黒澤の死後、弟子筋にあたる小泉堯史によって映画化されるが、長編の劇映画としてはいささか物足りないものに仕上がっていた。
しかし、これは長編映画にはふさわしくないかもしれないが、たとえばかつて一時間物の名作ドラマを多く世に送りつづけていたTBSテレビの「日曜劇場」の枠ならば、ぴったりの作品だと思われる。
雨に降りこめられた渡し場。河が増水したためそのほとりの宿屋に長逗留せざるをえなくなった貧しい旅人たち。その重苦しい空気を払うように、主人公の浪人者が道場荒らしをした金で大盤振る舞いをする。だが、それが仇となって、叶いそうになった仕官の夢が危機に瀕してしまう……。
長編映画にするには、もうひとつ起伏に乏しいが、短編小説としては物悲しくも心暖かくなるという不思議な読後感を与える見事な作品に仕上がっている。
とりわけ最後の最後に決定的なひとことを発する主人公の妻おたよの造形が鮮やかだ。夫の力量を誰よりも強く信じてはいるが、その心やさしくお節介な性格に危なっかしいものを感じている。しかし、それも含めて夫なのだという思い切りを抱いているのだ。
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