まだ私が三十代の頃だったと思う。
しばらくフランスに滞在する機会があり、ひとりでレストランで食事をすることが続いた。そのときは、なぜか懐が暖かく、多少の贅沢は許されるという状況だった。
私はレストランにワインリストがあり、そこにブルゴーニュのムルソーがあると、それを一本飲むことにしていた。もちろん、同じムルソーでも作り手によって値段は違い、いろいろなランクのものがあったが、とにかくムルソー村で作られた白ワインならよしとしたのだ。
なぜブルゴーニュなのか。それもなぜムルソーなのか。
理由は自分でもはっきりしていない。もちろん、あの撫で肩のボトルに入ったブルゴーニュの佇まいが好ましいということはあっただろう。そして、私が大学生のころから愛読し、経済学部の学生であるにもかかわらず卒論のテーマにしてしまったアルベール・カミュの代表作『異邦人』の主人公の名前と同じだったということもあるだろう。しかし、選択する最初のきっかけはそうしたことがあったとしても、その香りや味に魅力を覚えなければそれほど長く飲みつづけることもなかったはずだ。
私は、黄金色に変化したムルソーの、軽やかな深みとでも表現したいような純一な味が好きだったのだと思う。
そして、フランスから帰ってきても、日本のレストランで白ワインを頼む機会があり、びっくりするほど高い値段がついていない場合には、できるかぎりムルソーを頼むようになった。
すると、あるとき、面白いことに気がついた。