私に『バーボン・ストリート』というエッセイ集がある。
その本が文庫化されるとき、解説を阿佐田哲也こと色川武大が書いてくれることになった。
当時、色川さんはひとりで岩手の一関に移住していたが、ある日、偶然、銀座のはずれの小さな酒場で出くわし、一晩飲みつづけた。その別れ際に、色川さんはこんなことを言った。
「もうすぐ締め切りだけど、一関に戻ったらすぐ書くからね」
それが色川さんとの最後の会話になった。
担当の編集者によれば、一関に帰った色川さんと電話で話したところ、「今夜、これから『バーボン・ストリート』の解説を書こうと思っている」と言っていたという。だが、その夜に亡くなられてしまった。
色川さんが急逝された悲しみとは別に、私たちには校了の迫っている『バーボン・ストリート』の解説をどうするかという問題が起きてしまった。新たにどなたかに依頼するには日にちがなさすぎる。解説をなしにするか、私が文庫用のあとがきを書くか。
すると、その窮状を知った山口瞳が、急遽、ピンチ・ヒッターになることを引き受けてくれた。そして、山口さんは、わずか数日のうちに解説を書き上げてくださったのだ。
その中に、私に触れたこんな一節がある。
《私は、『新潮現代文学17・山本周五郎』の巻の解説と、文春文庫・向田邦子『父の詫び状』の解説を読んでいて、彼はタダモノではないという感触を得ていた》
最後の部分は、山口さんの、年少の書き手へのちょっとした「サービス」にすぎないが、私が山本周五郎と向田邦子の本に解説を書いていたのは確かである。
しかし、それにしても。どうして山口さんが私の解説などに眼を通していたのか。
向田邦子の『父の詫び状』の「解説」を読んでいたのはわかる。山口さんが向田邦子を直木賞に強く推したことはよく知られているし、『父の詫び状』は向田邦子の代表作であるからだ。しかし、どうして山口さんが文学全集に収録されている山本周五郎の巻の「解説」にまで眼を通していたのか。