書評

「意地」を貫き通すなかで光を放ち、一層かがやく、周五郎の世界の男たち #2

文: 沢木 耕太郎

『裏の木戸はあいている』(山本周五郎 沢木耕太郎 編)

『裏の木戸はあいている』(山本周五郎 沢木耕太郎 編)

「法師川八景」

 法師川という名の川は山形と和歌山にあり、群馬の法師温泉の脇にも流れている。しかし、それがどこかを確定することはあまり重要ではない。景勝地に若い男女が逢い引きに使う料理屋がありそうなところならどこでもよかったのだろう。

 未婚の若い武家娘であるつぢが妊娠してしまい、それを相手の若侍である豊四郎に法師川沿いの料理屋で告白するというところから物語は始まる。そして、その豊四郎が、二人の仲を家の両親に明らかにすると約束した直後に急死してしまう。ひとり残されたつぢは、未婚の母となって女手ひとつで子供を育てようと決意する。

 そして、つぢが農家の離れでひとりひっそりと産んだ子供は男の子だった……。

 女手ひとつで遺児である息子を育てるというと、『日本婦道記』の「箭竹」に出てくるみよと似ているが、主家への「御奉公」のためという要素がないだけ、より個としての女の意地の物語になり得ている。つぢの意地がくっきりと立ち上がることで、豊四郎の父母や、つぢの元婚約者の行動が際立つことにもなるのだ。

 この「法師川八景」でひとつ気になるのは、最初の節の、最後のところに出てくる「あのことを気にしているんだな、それでいけないんだ、忘れてしまわなくちゃだめだよ」という豊四郎の台詞である。「あのこと」とは何か。まさか、女が妊娠していることを告げている場面で、女の「水の音が雨のように聞えますわ」という台詞に対して、男が「妊娠していることを気にしているんだな」などという間の抜けたことを言うとは思えない。もっと違う意味がある言葉のように聞こえる。しかし、この伏線は最後まで回収されないのだ。

 一度書き上がった作品の校正作業をあまり熱心にしなかったという山本周五郎の単純なミスだったのか、あるいはそのまま流れていってよい台詞として書いたのか、あるいはやはり妊娠していることを指すもので、豊四郎の無神経ぶりを表したかったのか。少なくとも、私にはどういう意味なのかわからないままになっている。

裏の木戸はあいている山本周五郎 沢木耕太郎編

定価:本体870円+税発売日:2018年05月10日


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