秀子はただ、くすりとして、
「ご心配なく」
この場には、須磨子もいた。母親の横でちょこんと正座して、四つ年下の弟をじっと見つめていたのが、きゅうに金吾へ怒り顔を向けて、
「隆のお世話は、ちゃあんと私がいたしますから。お父様どうぞ安心してお勉強していらっしゃいまし」
自分が信頼できないのか、と言いたいのだろう。金吾は苦笑いして、
「わかった」
金吾は翌日、達蔵の家に行った。玄関先に立ったまま後事をたのむと、達蔵はやはり清潔な笑顔で、
「おお、そうか。めでたいことだ。留守中のことは委細まかせろ」
「曽禰君」
「何だね」
「あー、その、時太郎も行くのだが」
「そうか、そうか。彼もいい勉強になる。どうだ、前祝いに一杯やらんか。かね子に膳を用意させよう」
家のなかを手で示した。かね子とは妻の名である。金吾は急いで、
「今夜は用がある。失敬する」
きびすを返し、逃げるようにして玄関を出た。べつに用などない。疲れたような足どりで家への道をたどりながら、金吾は、
(どうだろう)
達蔵のこころに思いを馳せた。自分より七つも年下の、そうして建築に関しては自分よりはるかに素人である時太郎のほうが先に西洋を見ることになる。清潔でいられるはずがない。もしも立場が逆だったら、金吾なら、少なくとも渋面をかくすことはできなかった。
ともあれ。
金吾は横浜へ行き、アメリカに向かう船に乗った。
アメリカには独立した中央銀行はないから早々に列車で大陸を横断し、ニューヨークから二等に乗り、大西洋を横断し、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、ベルギー。これを一年でまわるというのは、実際、想像以上のいそがしさだった。曽遊の市ロンドンをほのぼのと漫歩する時間はむろんなく、うまい食いものに舌つづみを打つ時間はさらになく、或る朝など、時太郎が、ホテルのベッドの上でめざめて、
「いま、どの国です?」
本気で問うたほどだった。辰野は苦虫をかみつぶしたような顔で、
「ばか。オランダだ」
と言ったけれども、ホテルを出たらベルギーだった。
それほど目まぐるしい日々だった。もとより事務官の随行などありはしないから、旅の世話は、すべてふたりでやらなければならなかった。
帰国後は、さらに多忙になった。
十月三日に横浜に着き、いまだ故郷の風景に目が慣れぬおなじ十月のうちにもうネオ・バロック様式、地下一階、地上三階、日本初の本格的な石造建築の設計図を日銀に提出したのは神風のような速さだが、これはもちろん、あらかじめ旅先で筆を起こしていたのである。ほどなく日銀から、
――来店の上、総裁へじかに説明されたし。
という要請が来たので、金吾は時太郎とともに、例の、永代橋のほとりのコンドル設計の建物へ出向く。
総裁室へ直行すべく階段をのぼりながら、時太郎は、
「叱られるかなあ。こわい人だっていうじゃありませんか」
早くも顔色をうしないつつある。金吾は何も言わなかったが、じつはやはり、
(どんな人だろう)
恐怖のあまり、指のふしが白くなるほど両手をにぎりしめていた。
このときの総裁は、第三代・川田小一郎。
元来は三菱の経営者で、創立者・岩崎弥太郎とほとんど一心同体という感じで会社を巨大化せしめたが、
――高齢のため、第一線をしりぞく。
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