という建前で日銀に来た。もっとも、これは建前にすぎず、実際は親しい友人にさえ、
――高等厄介者。
と呼ばれるような短気な性格がわざわいして、三菱を追い出されたものらしい。岩崎弥太郎が胃癌で死に、つぎの社長に弟の弥之助が就任したところ、弥之助はどちらかというと文人肌で、先代のような豪傑型ではなかったのが気に入らなかった。
「優男には、会社の経営はつとまらん」
とか、
「俺のほうが、社業を知りつくしている」
などとさんざん放言したらしい。そんな人物だから、日銀へ来ても、その舌鋒は下火になるどころではない。
むしろますます鋭利になった。毎日毎日、社員たちを総裁室へ呼びつけてはののしる、あざける、頭ごなしに叱責する。声の大きさもまた非人道的で、夏の朝など、窓をあけはなしていると、隅田川のむこうで株屋の小僧たちが、
「ああ、きょうも“おかんむり”だな」
とわかったという。とにかく癇癪もちだった。
社員だけではない。
社外の大物でも遠慮しなかった。これは金吾もうわさで聞いたが、川田はあの渋沢栄一をも餌食にしたという。
渋沢はいうまでもなく第一国立銀行の頭取であり、財界の第一人者であり、これまで製紙、紡績、電灯等あらゆる分野で大会社を創立させてきた近代産業の父である。その父をやはり、
――総裁室へ、来い。
と呼びつけた上、よほど何かが気に入らなかったのだろう、一時間も二時間もののしった。
ただ罵倒したのではない。川田はわざわざ自分の左右にずらりと部下の局長級を四、五人もならべ、さらには少し離れたところに机をもうひとつ置いた。そこには秘書をひとり座らせて、渋沢の応答を細大もらさず筆記させたのである。
二重三重の心理的圧迫、無言の恫喝。渋沢ほどの人物が、ここではひたすら低頭するしかできなかったという。けだし川田小一郎とは一種の人格破綻者にほかならなかった。
それでいて仕事は無類にできる。特に、世間の空気の微妙な変化を察する眼力はほとんど人間の能力をこえていて、たとえば部下が統計を出す前にもう、
「世の中はいま、資金の需要が増大している」
と断言して、一般銀行むけの貸出し金利を引き上げたりした。
引き上げがあと少し遅かったら資金は世の中にあふれ、物価が不安定になっていただろう。直観するどく、手出しも速い。
またそれで誤りがない。行内からも行外からも、いまや功罪もろともに、
――鬼神。
と呼ばれるその男に、金吾は、つまり呼び出されたのである。
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