前回までのあらすじ
将来、明治を代表する建築家となる辰野金吾もまだ三十歳を過ぎたばかり。三年に及ぶ官費留学で西洋をまわり、近代都市とはいかなるものかを学んで帰国した金吾は、いまだ江戸の面影を残す首都・東京をいかに新時代のそれに導くかという命題に胸を高鳴らせていた。さっそく工部省の役人兼工部大学校の教授という立場を得て意気揚々と改革に乗り出すも、わずか一年で工部省が廃省。しかし金吾は悲嘆に暮れる事なく、自らの事務所設立に動いた。狙うは日本銀行の設計だった。
3 二刀流(承前)
社業は、順調に発展した。
開業日から発展した。この銀行の発行する、日本銀行券と名づけられた紙幣が、
――こんなのが、金か。
と、さんざんな評判だったにもかかわらずである。
なるほど不人気なわけだった。何しろ大黒天の像が印刷された、
百円
十円
五円
一円
の紙幣はみな紙をじょうぶにすべく蒟蒻の粉をまぜたら手ざわりが悪くなったのはまだしも、虫が食うようになった。
おちおち蔵にも置いておけないのである。全国の温泉地で、
――このお金は、まっ黒になる。
と言われたのは、これはあるいは、インクの何かの成分が硫化水素と反応したせいか。もともと西洋には温泉が少ないため、その処方を参照すると、こういう問題が生じるのである。日本には、いまだ独自の処方をあみだす術も人もなかった。
それでも、急速に流通した。紙質の悪さやインクの不調をおぎなってあまりある、信頼という価値があったからである。この日本銀行券は、政府公認のいわゆる兌換銀券だった。
つまり一円の紙幣のもちぬしは、その気になれば、いつでも一円ぶんの銀塊と交換することができる。実際はもちろん銀塊ではなく、銀製の貨幣(一円銀貨)ということになるが、この約束をつけることにより、紙幣はただの紙ぺらでなくなる。
着るものや、食べものや、汽車のなかで立たずに座ることのできる資格や、他人の服務時間やが手に入れられる霊宝になる。紙に価値があるというのは一種のつくり話にほかならないので、それを現実にするには、どっしりと光る銀という裏打ちが必要なのである。
本店の業務は、激増した。
人員もまた激増した。初代総裁・吉原重俊は開業後ただちに庁舎の横へもうひとつ、営業場と称する二階建ての建物を新築したが、業務はまったく追いつかなかった。犬小屋をふたつならべたところで、象を飼うことはできないのである。
だいいち、防犯上の問題がある。
日本銀行は兌換銀券である、ということは、発行者はつねに大量の銀塊を、いや銀貨を、保管していなければならず、その建物の内部には巨大かつ堅固不抜の金庫がなければならない。この点ひとつを取っても、いまの建物は、
――業務には、適さない。
その声が、職員のあいだで、日ましに強まったという。
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