前回までのあらすじ
将来、明治を代表する建築家となる辰野金吾もまだ三十歳になったばかり。三年に及ぶ官費留学で西洋をまわり、近代都市とはいかなるものかを学んで帰国した金吾は、いまだ江戸の面影を残す首都・東京をいかに新時代のそれに導くかという命題に胸を高鳴らせていた。さっそく工部省の役人兼工部大学校の教授という立場を得て意気揚々と改革に乗り出すも、わずか一年で工部省が廃省。しかし、悲嘆に暮れる間もなく、金吾はあるヴィジョンを思い描く。民間の立場で都市計画に関わり、建築家自ら会社を興すという発想であった。
3 二刀流
片山東熊の予言は、的中したことになる。よく消息に通じていたが故である。金吾は、
(さすが、長州閥)
出生という努力ではどうにもならないものの得失に思いを馳せざるを得なかった。もっとも東熊は東熊で、
――そのために、苦労している。
と言いたいところかもしれない。長州の出で、奇兵隊の出で、なおかつ彼ほどの頭脳があれば、ひとこと「行きたい」と言いさえすれば、大蔵省でも何でも、もっと格が上のところへ住みつくことは容易にちがいないのだから。
それをあえて工部省の、しかも建築などという陽のあたらぬ道をえらんだというのは、それだけ建築にかける思いが強いと見ることも可能なはずで、その強さは、ひょっとしたら、
(俺や曽禰君などより、ずっと)
ともあれ。
廃省にともない、工部大学校は消滅した。
金吾は教授職を非職となった。つまりは解雇である。学校はまるごと文部省に引き取られたあげく、同省の下にもともとあった東京大学へ吸収され、あらためて帝国大学工科大学という名称になった。よりいっそう巨大な教育機関の一部となったのである。
金吾はその新大学から、
――教授に任じたし。
という申し出を受けた。正直、
(俸給が、もらえる)
ほっとして、なみだが出そうだった。金吾の身は金吾だけのものではない。家のあの東のはずれの六畳間でごくごくと音を立てて乳を飲む須磨子のまっ赤なほっぺたも、排泄したときの粥を炊いたような甘いにおいも、それを平然とかたづける秀子の手つきも……明治の新世では、家庭の平和は、ただ金銭のみによって維持し得るのだ。
これで、当面は安泰だ。
とまでは金吾はしかし考えなかった。何しろ官吏の世界である。党派あらそいが熾烈にすぎる。文部省内における旧工部省派の勢力などは矮小というより無にひとしいのだから、金吾は今後、たぶん生涯、ひやめしを食わされつづけるだろう。昇進は遅れ、昇給はままならず、それはまだしも耐えられるにしろ適当な仕事が来ないのは耐えられぬ。帝国大学教授といえば世間の通りはいいけれども、要するに、
(黒板の前で、いばるだけ)
それだけの人生はいやだった。自分の国は自分で建てる。東京を真の首都にする。そんな人生の大いくさはまだ火ぶたも切られていないというのに。金吾はこのころ、ぎりぎりと音を立てて歯ぎしりすることが多かった。自分は教えるためではない、建てるために留学したのだ。
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