三年に及ぶ官費留学で西洋をまわり、近代都市とはいかなるものかを学んで帰国した辰野金吾は、いまだ江戸の面影を残す首都・東京をいかに新時代のそれに導くかという命題に胸を高鳴らせていた。さっそく工部省の役人兼工部大学校の教授という立場を得て改革に乗り出すも、わずか一年で工部省が廃省。しかし金吾は悲嘆に暮れる事なく「辰野建築事務所」を開設し、日本初の中央銀行である「日本銀行」の建設を受注するべく臨時建築局総裁・山尾庸三らに掛け合い、内定をもぎとった。
4 スイミング・プール
翌年の夏、金吾は正式に、日本銀行の設計者に決定した。と同時に、臨時建築局総裁・山尾庸三より、
――海外調査を命ず。
という辞令を受けた。
建物ひとつ建てるのに一年も勉強して来いというのだ。政府の意気ごみが如実にうかがわれる措置であり、金吾は正直、肩がこわばったが、ただし調査の目的は銀行建築だけではない。
議院・諸官衙の調査もふくむという。
(議院か)
金吾は反射的に、イギリスの国会議事堂を想像した。ああいうものも、
――建てる。
というのが政府の長計なのだろう。もっともイギリスとは異なり、いまのところ、日本にはそのなかで開催されるべき議会というものが存在しない。ゆくゆくは憲法なるものが発布され、選挙がおこなわれ、代表者を東京にあつめて国政のもろもろが審議されることはまちがいないのだが、そのあかつきには、
(そいつも、俺が)
ともあれ、いまは日銀である。外遊はのぞむところながら、私生活において、気がかりな点がひとつ。金吾は家で、
「どうだ」
と、秀子に問うた。
秀子はまたしても胸をはだけ、赤んぼうに乳をふくませている。長男・隆はまだ生後四か月なのにもう唇をしっかりと乳首につなぎ、ごくごくと音を立てていた。
姉の須磨子がようやく一歳になるころ到達した痛飲の境地。将来はよほど頑健な男になると期待しないわけにはいかないが、それだけに、
(この子をのこして、行くべきか)
金吾は、それを懸念したのである。万が一にも父親の不在がその精神の発育をそこなうことはあってはならない。
ほかならぬ、辰野の家のあとつぎなのだ。金吾はおのれが養子の身であるせいか、こういう問題には、ことさらこだわるところがあった。
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