「やっぱり痣できているな」
全さんの手が膝、太腿、腰と移動していく。触れられたところが火を押しつけられたように熱を持つ。
「痛いか?」
首をふりながら、下着、と思った。朝どんなやつを選んだのかまったく覚えていない。きっとダサいやつだ。シャワーも浴びていないし、口もニンニク臭い。中華なんか食べなきゃ良かった。
歯くらい磨こうと思うのに、体に力が入らない。背中に畳のひやりとした感触が伝わる。覆いかぶさった全さんが黒い影になって私を見下ろしていた。
逃げられない、と頭の芯で悟る。自分で望んだ状況なのに。
見つめ返す。視線が妙な絡まり方をして、今度は顔が熱くなる。目をそらすと、ボタンひとつ分はだけたシャツから全さんの胸元がのぞいていた。細かな皺の寄った肌は、さきほどの中華料理店で全さんが食べていた前菜の干し豆腐を彷彿とさせた。掌から伝わってくる生々しい熱をたたえている体にはとても見えない。触ってみたくなる。
手を伸ばし、首を掴むみたいにして触れた。全さんは逃げなかった。乾燥した皮膚の下で血管がひくっひくっと動いている。背筋がぞくそくして、奥歯を噛みしめた。
全さんの目が愉しそうに細められた。
乱暴に頭が持ちあげられ、唇を塞がれた。一瞬、体がこわばる。私の体温とは違う、生き物めいた舌が入ってきて口内をかきまわす。苦いような酸っぱいような唾液の味がした。
声を奪われた。のしかかってくる体が重い。息苦しい。なのに、頭にもやがかかる。全さんの体温が流れ込んできてずぶずぶと溶けてしまいそうだ。
血と肉でできた同じ人間のはずなのに、このひとの体はどうしてこんなに熱いのだろう。
気がついたら全さんのシャツを握りしめていた。唇が離れる。口の端から垂れた唾液を拭いながら見上げる。自分の荒い呼吸が耳についたが、もう羞恥心はどこかへ飛んでいた。
全さんが顔をゆがめる。
「怖いか」
首をふった。
「でも」
「なんだ」
「あついです」
「冷房、強くするか」
身を起こしかけた全さんにしがみつく。
「そうじゃなくて、体が」
口の端で笑われた。
-
『赤毛のアン論』松本侑子・著
ただいまこちらの本をプレゼントしております。奮ってご応募ください。
応募期間 2024/11/20~2024/11/28 賞品 『赤毛のアン論』松本侑子・著 5名様 ※プレゼントの応募には、本の話メールマガジンの登録が必要です。