2018.03.15 別冊文藝春秋

『神様の暇つぶし』千早茜――立ち読み

文: 千早 茜

電子版18号

「別冊文藝春秋 電子版18号」(文藝春秋 編)

前回までのあらすじ

「私」が父の友人だった全さんに再会したのは、父が亡くなった二十歳の夏だった。全さんは左腕を血で染めて玄関先に立っていた。その翌日父の机の中を整理していたら、ED治療薬が見つかり「私」は衝撃を受ける。その後全さんの実家である廣瀬写真館の前で、「私」は全さんを追いかけてきた恋人に出会う。彼女を見た「私」は自分と父を捨て、男と逃げた母親のことを思い出していた。全さんに誘われ、鶴岡にいる母親のもとへ行ったが、そこに「私」の居場所はなかった。


 こうやって思い返せば、気付くきっかけはいくらでもあった。

 あのひとが五、六時間おきに飲んでいた鎮痛剤がどれほど強力な薬で、どんな病気だったらそれが必要か、そして入院もせずに痛みだけを緩和させる状態がどういった意味を持つのか、調べればすぐにわかったはずだ。

 乱暴なようで優しい物言い、無作為なのか投げやりなのか判断のつかないふるまい、そうかと思えば、ぞくりとする執着を枯れ木のような身にたぎらせる。過剰で、気ままで、そのくせ、たわむれに夕陽のような懐の深さを見せた。

 普通では、なかった。

 けれど、そのすべてを、私は才能のある人間ゆえのものだと思い込んでいた。

 気がつかなかった。疑いもしなかった。

 かさついた肌の、あのひとの体の中が、熟れすぎた果実のようにぐちゃぐちゃに朽ちていっていることを。もれだす腐臭を嗅ぎつけることができなかった。

 突然の事故で父を失ってなおも、私は死のにおいに鈍感だった。

 それは私が若く、圧倒的に死から遠かったせいだ。

 四肢は思いのままに動き、血はくまなく体をめぐり、悲しいことがあっても時がたてば腹が減った。疲れを覚えれば、どこででも眠れた。そして、目覚めると生まれかわったように回復した肉体があった。疲労も、胸が軋むような記憶も、蓄積することはなかった。

 あの頃からまだひとまわりも歳をとっていない。今の私だって、あの頃の彼よりはずっと若い。それでも、記憶の中の自分は眩しいほどに若い。若く、傲慢で、痛々しい。

 あの日、あのひとが動けるようになるのを待って、バスで下山した。今度は山側からだという彼に従い、電車を乗り継いで、新庄から新幹線に乗った。バスの停留所近くの茶屋でソフトクリームと胡桃だれの団子を食べ、駅では山菜蕎麦をすすり、おにぎりも二つたいらげた私はうとうとと舟を漕いでいた。

 ふくらはぎと太腿にけだるい疲れが絡みついていた。日差しを浴びた肌はひりひりと熱い。昼過ぎのローカル線の、まばらな人の気配と電車の揺れが心地好かった。閉じたまぶたの上を、青々とした梢がつくる影が通り過ぎていく。

別冊文藝春秋からうまれた本



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