深尾の復帰も順風満帆とは行かず、思わぬ落とし穴が待っていた。偽装や隠蔽が政治家や高級官僚そして大企業経営者に至るまで日常茶飯事となった現在では、何が自分の身に降りかかるか分かったものではない。恐ろしい社会になったものだ。だが、深尾はもうそんな事故には負けない強い生命力を持つに至った。彩弓というナナフシを助けた深尾は、そのナナフシに助けられた存在でもあったのだ。
幸田さんの小説には、常に挫折と希望とがコインの裏表のように表出してくる。まるで、ご自身の体験に基づく息遣いが、幾つものページの行間に滲み出しているかのようだ。この小説でも、ある場面の北田彩弓は幸田さんであり、別の場面では深尾真司が幸田さんだ、という思いが湧いてくる。
外資系金融の大先輩に対して大変失礼ながらも、読後に「そうか、幸田さん自身がナナフシのようにしたたかに生きる生命体だったんだ」と実感するのに、それほど時間は掛からなかった。幸田さんは、経済小説家という枠組みをこれから何度も脱皮し、再生し、そして飛翔していく人なのだろう。