書評

米国系証券会社でトップ・セールスだった筆者だから書けたマネー・ドラマ

文: 倉都康行 (国際金融評論家)

『ナナフシ』(幸田真音 著)

『ナナフシ』(幸田真音 著)

 この小説は、経済小説家として腕を振るってきた幸田さんにしては珍しい、そんな人間ドラマ仕立てになっている。北田彩弓と深尾真司との間の揺れ動く精神空間の中に、医師の槇岡が独特の存在感を放って登場する。そこにバイオリンが弾けない苦闘、ザルツブルクへの憧れ、そして悪性の末梢神経鞘腫瘍というサブ・テーマが、憎いほど用意周到に織り込まれる。

 ナナフシはこうした舞台設定の上で悩み、苦しみ、悲しみながらも、夢を諦めるなという救世主の声を聴きながら生き延びる。そしてそんなナナフシの生への意思が、助けた深尾にとっての貴重な生の糧ともなり、彼自身もまた生きる意味を再確認していくのだ。そこに、二つの「生への物語」が鮮やかに浮かび上がる。

 

 だが、その舞台に流れる通奏低音はやはり幸田さんらしい「マネー・ストーリー」である。本書が、2008年9月に全世界を襲ったいわゆる「リーマン・ショック」を題材としているのは明白だ。このあたり、まさに幸田さんの真骨頂と言って良いだろう。思わぬ会社の倒産劇で天国から地獄へと転落していく深尾の歩みは、同じ金融界で働いた身としては、とても他人事とは思えないところがある。

 世界を震撼させたあの惨劇から、もう10年が経とうとしている。いま各国の経済は回復ペースを取り戻し、米国では株価指数が過去最高の水準まで押し上げられる好調ぶりである。日本経済も、米国や欧州そして中国に代表される新興国の経済の力強さを受けて、着実に成長を続けている。時間のたつのは本当に早いものだ。

 日本はまだデフレから脱却していない、と言い張る人も多いが、学生の就職に関しては完全に売り手市場であり、氷河期と言われた時代は遥か昔のことのように思われる。人手不足を背景に、失業率は世界にも比類のない低さだ。世間は、もはやリーマン・ショックなど忘却の彼方、といったムードに浸っているかのようだ。当時、毎日のように紙面を賑わせたサブプライム・ローンという言葉も、メディアから消え去って久しい。



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ナナフシ幸田真音

定価:本体840円+税発売日:2018年08月03日