しかも、『橋を渡る』のニュースは単に耳に入ってくるだけではない。第二部では、主人公の赤岩篤子の夫がまさにニュースの対象となる。都議会でのセクハラ発言の主は議員である夫だったかもしれない。精神的に不安定になった篤子は、ほかならぬ「週刊文春」の編集部にクレイマーまがいの電話をかける。第三部では主人公里見謙一郎がテレビ局の報道ディレクターという設定で、「週刊文春」の編集者とも大学時代の友人。話題のiPS細胞の研究者にも取材を重ねる。謙一郎はこうしてニュースの裏側を知る人間として描かれるが、やがて彼自身が事件の主役ともなってしまう。
溢れるニュースの飛沫を浴びるだけでなくその渦に巻きこまれる、そうすることでメディアという獰猛な獣が、かかわった人間たちをどんなふうに扱うかを示す……。『橋を渡る』はひとまずそんな見取り図の描ける小説と言えるだろう。複数プロットの並置は吉田が得意とするもので、異なる物語を生きる人物たちが併走し、ときに交差する有様をメディア的なせわしなさとともにうまくとらえる。
ところが第四部。読者はここにいたってまったく予想外の大きなひねりに直面する。何だこれは! と思う人もいるかもしれない。しかし、作家のほんとうの野心があらわれているのはここである。さまざまなサスペンスを目前にした人たちが、不安をかかえたままいよいよ未来へと踏み出していこうとする。言葉にできない謎の闇がそこには待ち構えているかに見える。ところが、物語はこれら三つのプロットを置き去りにしたまま、一気に七〇年後の世界に飛んでしまう。実にラディカル。下手をするとぶち壊しにも見えそうな展開である。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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