そこで第四部の話だ。ここは平成二七年から七〇年後の世界。そこへ第三部の主人公謙一郎がタイムスリップする。そこにはいったいどんな異様な未来世界が待ち構えているだろう。たしかに人の移動はもっぱらエアロモービルによるものとなり、人間はサインと呼ばれるクローン人間を奴隷のように扱っている。建物はぷかぷかと宙に浮く。しかし、その世界はあっけないほど「ふつう」でもある。そして、平成二七年やそれ以前から蔓延していた宿痾から、人類は全然自由になれてもいない。
吉田はこの世界を、第一部から第三部を描いたのと同じおだやかで常識的な視線で描き出す。そこには醜いものもあれば、美しいものも、懐かしいものもある。私たちが「見知らぬ未来」に抱く言い知れぬ不安に対し吉田が突きつけたのは、絶望的なほどに「ふつうな世界」だったのである。
未来世界に迷いこんだ謙一郎は、彼を保護したサインである凜と響に対し、この世界の印象を次のように説明する。
「もちろん、七十年前の俺たちが思い描いていたユートピアじゃない。でも、恐れていたディストピアでもなさそうな気がする。……それが正直な感想なんだ。熱くもない、ぬるくもない、そんなお湯につかってるみたいな未来……」
近未来という異質なはずの世界を、現代風俗に対するのと同じ視線でとらえる。吉田の得意とする複数プロットの交差という手法が、ここでは七〇年という時間を超えて試みられ、時空をこえた「交差点」を現出させる。吉田流リアリズムの大きな挑戦だろう。
さて。最後まで読んであらためて感じるのは、この作家の文章にいつも伴う、かすかにくすぐったいような、心地のよい刺激だ。コミックというほど騒がしくない。毒気も強くない。しかし、ときにぴりっとアイロニーがきく。根底にあるのは、暗さや重さを静かにほぐすような、流れるような解放感だ。
小説の冒頭、明良は裸足に草履で芝生に降り立ち、その感触をしみじみ味わう。何とも懐かしい静かな刺激。最終部でも、響や凜の足が同じ感触を共有する。吉田の文章の味をよく伝える何かがそこにはあるのではないだろうか。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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