ニュースの海というものは、それがどぎつくおぞましいほど、私たちの小さな「安心の世界」を守ってくれる。そこには永遠の「対岸」が演出されるから。しかし、『橋を渡る』の世界では次第にその「安心の世界」にほころびが生ずる。そのほころびをもっともよく示すのは「正しさ」の崩壊である。
象徴的な場面がある。第三部の主人公里見謙一郎は、婚約者の薫子が別の男と会っていることを知る。薫子は「ちゃんと話をしなきゃって」と別れ話を始める。これだけならふつうのメロドラマ的展開だが、吉田はちょっとしたセリフに大きな威力を持たせる達人である。
「私たちのこと、もう一度、ちゃんと考えさせてほしいの……。私たちの……」と薫子の言葉がためらう。
「俺たちの何を?」
「私たちの、結婚のこと……」
謙一郎の全身から力が抜けた。
「私が間違っているの。私が間違ったことをしようとしているの。それは分かってる。でも、このまま謙ちゃんと結婚したら、私は、謙ちゃんのことを騙すことになる……」
「……騙せよ」
(中略)
興奮した薫子が声を荒らげ、しかしすぐに項垂れて、「……だから、私が間違ってるの。……でも私には、間違っている自分のほうが正しく見えるのよ」と泣き崩れた。
謙一郎は日頃からジャーナリストとして「何が正義か」「何が正しさなのか」といった問題で頭を悩ませている。そんな謙一郎に「間違っている自分のほうが正しく見えるのよ」と声をあげる薫子はどんなふうに映っただろう。単に「正しくない女」なのか。少なくとも読者にはそれ以上の存在に見えるはずだ。
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