本書の主人公・鉄雄は、漫画家志望だがうまくいかず、やむなく路上で似顔絵を描いている若い男。うまいのだが、人の良さを反映してか、編集者からは「悪人に魅力がない」と低評価を受けている。似顔絵で生活できるほどの稼ぎはないが、本格的に学んでいるため画力はかなり高い。“観察力やスピードも似顔絵描きで鍛えられている。そんな男にTV局から法廷画の仕事が舞い込むところから話が始まる。いつも頼んでいる画家が急に倒れ、画力を見込まれてピンチヒッターに指名されてしまうのだ。
テンポの良い導入部であるとともに、読者にとって必要な仕事の段取りや時間配分が過不足なく説明される。鉄雄も裁判をナマで見るのは初めてだから、何も知らない読者は鉄雄と一緒におずおずと法廷に足を踏み入れる、うまい仕掛けになっているのだ。どんな事件なのか。被告人はどういう人物なのか。少しでもいい絵を描きたい鉄雄が真剣に考えることすべてが、読者にとって興味深いことだらけだと思う。
といって初心者向きというわけではなく、かなり裁判慣れした僕でも知らない、法廷を出たあとの画家の仕事ぶりもきっちり描かれている。著者は相当取材をしたに違いない。傍聴に行っただけではなく、法廷画を描いている人やTV局の人に話を聞いたのではないだろうか。それくらい描写が細かい。つまり…、これは法廷画を描く羽目になった鉄雄が物語を引っ張る役目を果たすだけではなく、法廷画そのものを真正面から取り上げ、構想されたミステリなのだ。
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