たいやきを持って突っ立ったままの〈僕〉に折り畳み式の三本足のいすを持ち出して、どうぞ、すわって、と勧められ、初めてじっくり話す場面から転じて、〈僕〉はまるで事のついでといった風に、さりげなく、女の子(こよみさん)にではなく、我々読者に向かって告げる。
僕には生まれつき足に麻痺があった。ずっと松葉杖を使っている。
〈僕〉がたいやきを歩きながら一口食べたり、あ、と立ち止まって、店に引き返して、おいしい、と告げる、これらの動作が全て松葉杖に支えられて行われていたことを知ると、我々の中で、冒頭の数ページの記憶が新たな様相を帯びる。ページを戻って読み返すのではなく、記憶の中で、冒頭のページが変貌するのである。三本足の折り畳み椅子にすわる〈僕〉もまた三本足(健常な足、麻痺した足、松葉杖)なのだ。
ここには、まるで良い音楽を聴いているかのような記憶の変貌、充実と深化がある。まさにこのような音楽的経験は、小説というジャンルが常に目指しているものだ。
音楽は記憶の芸術である。音楽形式は次のように定義される。(『新音楽辞典楽語』音楽之友社)
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